釣行記(ちょうこうき)。昭和40年〜平成11年の伊勢志摩紀東の釣り紀行文。B5約113ページ。
釣り場は鳥羽に始まり、南島、英虞湾、宮川河口。
クロダイの紀州釣りを得意とする著者が、様々な釣友たちと繰り広げる釣りロマン。

釣行紀 1 昭和40年頃の作者の少年時代の釣りのこと。昭和50年代前半の鳥羽の佐田浜。今はなき「ぶらじる丸」。カイヅ釣りも上手くいかないのに、シラを釣りたいと熱望する。昼間にシラを釣りたい。あの美しいシラを。
釣行紀 2 昭和50年代後半、南島大江浜。ハマグリほどの大きさのアサリが獲れる。ここでのシラの数釣り。遂に念願叶い、昼間にシラを釣る。
釣行紀 3 師匠のI氏との出会い。また、方座浦での釣り勝負での手痛い敗北。紀州釣りの奥深さを知る。
釣行記 4 海跡湖(かいせきこ)、かさらぎ池で無敵の釣技をあみだす。名付けて「エビの早がけ」。羽根ウキの自作も手がけ、充実した釣りを展開。
釣行記 5 昭和58年。購入した手こぎボートで大江浜対岸に「飼いつけ」を行う。94号と名付けたこの場所は他人にも知られず、自分だけのポイント。48、49センチと大型を仕留め、中型の数釣り。笑いが止まらない。
釣行記 6 94号も、他人にばれてしまい、奈屋浦へ。固定ウキにこだわる。ハエ竿改造。木ゴマリールとタックルにも年期が入ってくる。
釣行記 7 赤潮の去った後、奈屋浦での大釣り。初心者のT君も大いに数釣る。釣れるときは誰が釣っても釣れる。エサも腕も関係なし。
釣行記 8 晩秋の贄浦テトラでの釣り。赤土ダンゴをやめ、ヌカダンゴに切り替える。潮が澄んでいるので、シラが撒き餌に群れているのが見える。二・三歳魚多し。
釣行記 9 厳寒期の贄浦での釣り。食い渋る中での試行錯誤。潮が澄み就餌が視認できる。昭和60年、南島町のはずれ新桑竈での乗っ込みチヌ一考。
釣行記 10
釣りごたえのある三歳魚。船外機を購入しての大江での釣り。「島影」の世代交代の群れ。
釣行記 11 ヤクザのR氏と知り合い、怪気炎を上げる彼と楽しく釣る。数は少ないが二、三歳魚が姿を見せ、50センチ級の姿が海中に見える。
釣行記 12 大いに逸走した幻の50センチ。見えている魚をだまして釣り上げる。50センチを越えていたと思っていたら実は計り間違いだった。南島の釣りは別れを告げ、次回から舞台は志摩へ。
釣行記 13 志摩郡阿児町甲賀での釣りの再開。しかし、ブランクからか、環境の変化からか釣れるのはボラばかり。遠投人がこのころから出現し、紀州釣りも変わりつつある。
釣行記 14 甲賀浅浜の秋。新子か二歳魚か判然しないが、久々の数釣り。40枚も釣れる日も。小さくてもチヌである。
釣行記 15 セイゴバリでチヌが釣れたことに悩むN君。相変わらずの爆釣浅浜。また安乗でもチヌは姿を見せ、ここでは三歳魚も混じる。
釣行記 16 安乗の北西風を玉ウキで攻略。ダブルのハリでチヌを釣る鉄面皮の浅浜の爺さん。アタリに対する考察。晩秋を迎え平成6年は暮れる。
釣行記 17 平成7年。神明堤防を開拓する。ここの二歳魚は大きく、23〜30センチあった。これらが面白いように数釣れ、夏を楽しませてくれる。また様々な釣友に出会う。
釣行記 18 私の釣りを双眼鏡で覗いていたS氏。またさらに遠くから望遠鏡で観察していたT氏。初心者のT氏は私に弟子入り志願し、S氏は多忙により釣りに来られない。釣れさかる神明堤防。
釣行記 19 私は神明堤防で名人の称号を得る。エサ屋でも私の話が出て、T氏はことさらそれを吹聴する。同僚もやってきて、一緒に釣る。神明堤防夏まっ盛り。
釣行記 20 お盆に神明堤防に現れた小学校の校長先生。その釣りエサの威力たるや、他の追随を許さない。そのエサとは「地堀りマムシ」。T氏はすねるし、私はあきれてものがいえない。偏食傾向を示しはじめた神明のチヌ。
釣行記 21 中国から来たO氏と出会う。彼と共に夜釣りをし、賢島の夜景を楽しむ。物憂く、けだるいけれども、なぜか生きている実感湧く神明堤防。夏の名残を感じさせながら。
釣行記 22 秋が来た。エサ取りの多いSセンター。釣行のたびに混じる40センチ級。フグもでかい。中型を堪能する。
釣行記 23 台風の最中のSセンター。台風でも出かけていくチヌ狂い。フグを好んで食べる人。ハリス一考等。
釣行記 24 チヌなど遠投しなくても釣れるのだ。底這わせてはアタリがわかりにくいし、釣趣に乏しいではないか。遠投人と底這わせ人間を憂う。Sセンターを訪問し、未来の水産業のあり方に触れる。
釣行記 25 平成八年、伊勢地区に新居が完成するが、転勤出来ず、そのまま阿児町へ住む。三歳魚の数釣りを期待するが、思惑通りにはいかない。
釣行記 26 阿児町立神。見えているチヌを竿下におびき寄せて釣り上げる。貝掃除後のロープの交差点には、60センチ級が妖怪のごとく私を誘う。こんなところのこんな浅場で大チヌが。見えるチヌとの格闘記。
釣行記 27 60センチ級を狙ってでかけたら、思わぬハプニング。掛けたもののでかすぎて釣り上がらない。しかし、その他の見えているチヌをことごとく釣り上げ、チヌとの対話を試みる。やがて彼らは学習し、陰険性を帯びてくる。筏でのウキ釣りを完成する。
釣行記 28 平成9年。転勤と同時に住居を伊勢地区に移す。宮川河口での紀州釣りは失敗し、釣りに行く暇が少なくなる。新しい同僚中北啓竿氏との出会い。彼と釣行したサザラ浦のマダイ。
釣行記 29 平成10年。啓竿氏、御座堤防を開拓。50cmオーバーをも含め、大型を次々と仕留める。また、磯部町飯浜では、佐渡氏がルアーで74cmのスズキを。SFCのメンバーは快調にとばすが、私は釣りに行けないイライラを経験する。
釣行記 30 御座堤防。啓竿氏、1ヵ月で大型20枚以上の釣果。なんでこんなに釣れるのか。その理由を考察。SFC釣り大会。ビギナーの山上氏が49cm、佐渡氏が51cm、三沖君がダンゴもなしで41cm。私はいつも蚊帳の外。紀州釣り歴25年は何なのだ。
釣行記 31 平成11年。春に下津浦にSFCのメンバーで釣行。護岸で釣るが、まさか、この場所に2000年年なしラッシュで湧く筏やカセが設置されようとは。清流宮川の復活とメダカに喜ぶ。釣りは周辺環境あってのもの。
カイヅを釣る。
釣行記 32 8月下旬、辻岡氏の世話で、佐渡氏と共に奈屋浦の円形筏へ。掛け竿を使い、筏での紀州釣り。初めての年なしを掛けるがタモが近くにない。佐渡氏が怪我後の足をかばいながら、タモを取りに行ってくれる。55cm。他に50cmも釣り上げ、年なしを求めてフィールドは広がっていく。
釣行記 33 あまりに小さい宮川、小林裏のカイヅ。釣れたら年なしの奈屋浦。あまりに対照的なサイズ。それでも両方チヌである。湯川氏もカイヅ釣りをして、釣り入門する。
釣行記 34 大湊西の川での夜釣り。自分でミノムシを掘って釣る初老の釣り師。奈屋浦でヒラメをよそに、チヌにこだわる私。SFC名誉会長辻岡氏登場。大湊での怪事件。SFC押し掛け会員石元氏登場。
釣行記 35 冬と春に対しての一考。厳寒期でも釣りに徹する中北氏。懐かしい釣友達。といめん氏と木登氏。完結編。続きは「新釣行記」へ



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