かさらぎ池とエビの早がけ
 

 真夏になると、大江はあまり釣れなかった。もともとここは早期の釣り場なのである。二歳になったばかりのシラは初めのうちは警戒心も少なく、私のような初心者の餌にも食いつくが、釣り場に何度も人が入るようになると、さすがに学習して簡単には釣らせてくれなくなる。
 
そうかといって、方座浦へはあまり行きたくなかった。以前の事もあるし、少し遠かった。そんな時、I氏の教えてくれた「かさらぎ池」へ行ってみようと思った。
 
かさらぎ池は南島町奈屋浦からさらに奥に入ったところに位置し、外洋に面している。
かさらぎ池水門付近(2001年)


もともと淡水の池だったが、海と数10mしか離れていなかったので、これに目をつけた伊勢の真珠業者が、この池を私有地にし、水門を開いて強引に海とつなげてしまった。外洋の海水がどっと流れ込み、淡水池はあっというまに汽水池になった。当然生態系に変化が生じ、あるものは生き残り、あるものは死に絶えた。岸にはカキがびっしりと着き、岸辺にはカニやヤドカリが遊び、アメフラシがその奇妙な体躯を現わした。様々な種類の海水魚がこの池に入ってきた。スズキ、コノシロ、アジ、キス、ボラ他。その中には当然クロダイもいた。(傍線部分は後に作り話であることが判明した。かさらぎ池は「海跡湖」であるらしい。)
 
はじめのうちは真珠業も隆盛を極めたが、やがて不況のあおりを受けいつのまにか、事業はストップしてしまった。

あとには朽ち果てた真珠小屋とイカダだけが残り、池は魚たちの楽園になった。とくにクロダイに関しては厳寒期に60pもの大型を、漁師がモリで仕留めたというくらいのところだ。

 最初ここを訪れたとき、まず驚いたのは海水の透明度の高さだった。その次に目を見張ったのは、シラが群れを成して泳いでいるのを確認できたことだった。数は10数尾ほどであったが、やがてその群れは海底のほうへ消えた。

 釣り始めると、底の状態が一定でなく、潮の流れがかなり早いことに気がついた。何度も根かがりするので、佐田浜の時のように底を10pほど切ることにした。エサトリの数が余りに多く、ダンゴが切れた後あっというまにエサがなくなってしまう。この時エサはエビを使っていた。

このエビは大江にある汽水養鰻場に自然発生したものなので海水に強く、竹で編んだビクに入れて海水につけておいても死なない。当然水の中でも元気で湖産エビの比ではない。養鰻場へ行くとこれを一パイ四百円で売ってくれるのだ。これもI氏から得た情報である。

 エサトリの正体は、ウマヅラハギ、フグ、ヒイラギなどであった。これらは打ち返しをするために上げたときにアタリもなしに掛かっていたものである。

 あまりにエサトリがひどいのでいい加減気が滅入っていたら、そのうちに餌のエビが半分だけかじられて返って来るようになってきた。それはスパッと切られたような切り口である。エビを尻から刺すと頭を取られ、頭から刺すと尾を取られた。

 アタリはないものだと思っていたら、よく見ると1pぐらい鋭角的なコツッとした押さえ込みがある。それは二度ほど続くと止まり、上げてみるとまたしても餌は半分だ。

 そこでエビを頭から刺し、よく動くようにしてウキを凝視し、二度めのコツッですかさず合わせてみると、見事にハリ掛りして小気味よい引きが腕に伝わってきた。
 
上がってきたのは25pはある、大江で釣れるものよりひとまわりぐらい大きいシラだった。
 
結局この日は25pから28pのシラを合計5枚釣りあげた。

 この5枚のうちウキを完全に沈めていったのは1枚のみで、あとはすべて
1pのアタリを掛けあわせたものである。呑みこんでいるものはなく、すべて綺麗にハリ掛りしていた。 

 この釣果に私は大いに満足した。極小のアタリを掛け合わせるのは、かなりの精神集中が必要だが、まさに「釣れた」のではなく「釣った」という感じがする。
 
最も百発百中ではない。素バリを引いたときもあったし、バラシも2、3枚あった。しかし、餌を取られているのにアタリが小さいときは合わせてみるべきである。少なくとも餌は口にしているのであるから。
 
シラは餌を口に入れ、ハリの存在に異常を感じ一旦吐き出すが、食欲のあまりまた口にいれてしまう。そしてまたおかしいと感じ吐き出す。今回の場合はその後は食いつかなかったのである。食いの良いときは二度目あたりでそのまま食い込んでしまうが、いつもそんな状態ではない。
 
魚が餌をくわえていようが、飲み込んで逸走しようが、要はハリが口の中にあるときに合わせれば良いのである。

ウキが完全に水没するときは大抵は飲み込んで泳いでいて、これは容易にハリがかりする。そして通常はこの時に合わせるのであり、アタリは簡単に視認できるのだ。
 
だがいつもウキは完全水没するものではない。普通は今回のようなときは、アタリはあっても食い気がなかったと考えて、ボウズで終わるのがほとんどではないだろうか。

 その後の釣行でもこの合わせかたは成功し、エサトリが多くて食い気が少ないときなど、効果的だった。この技術を
「エビの早がけ」と勝手に命名し、以後様々な場所でも通用した。
 
この早がけのためには感度の良いウキを必要とした。今までは安価なヘラウキを使用していたが、やはりもっと感度を高める必要を感じた。

ヘラウキの材質は、孔雀の羽根、発砲、バルサ、カヤ材など様々だが、感度に関していえば、やはり孔雀の羽根にとどめをさしている。ところが市販の羽根ウキは非常に高価であったので、自分で作ることにした。

羽根その他の材料は釣り道具店で販売されており、これらを買ってきて自作した。トップもなるだけ視認性の良いように蛍光色でソリッドに色を塗り、風呂に浮かべて浮力を調整した。
 
見た目などはどうでもいいのだ。要は「早がけ」のために、最終的には釣れれば良いのである。ボデイなど塗料を適当に塗り散らかし、仕掛けの飛ばしやすさを考慮し、根元の部分にオモリを巻きつけたりした

 この自作ウキは実に調子が良かった。それだけでなく、ウキを自作するようになってから、さらに釣趣が広がったような気がする。

 ウキだけではなく、竿もカーボン製のハエ竿を買ってきて、ガイドをつけリールシートをくくりつけて自作した。

市販の磯竿はダンゴの打ち返しをするためには重すぎた。それに魚の引きを楽しむためには、軟調子の方がバラシも少なくていいと思われた。その点ハエ竿やヘラ竿はこの点をクリヤーしている。

この時のハエ竿もヘラ竿も今だに愛用していて、共に長さはそれぞれ4m50と5m40。リールは両軸受けで、ウキは固定にし、道糸3号ハリス1号半。ハリはチンタメバル11号かチヌ3号を使っていた。(5m40は平成八年十月志摩町片田で他人に踏まれて破損した。今だに悔やんでいる。)

 かさらぎ池では主に5m40のヘラ竿改造を使った。釣座が低いので、魚を掛けたときのあしらいが長い竿のほうが有利だったからである。
 
九月になり、何度もこの釣り場に通うようになると、いつの間にか徐々に他の釣人が増えていた。

以前、私の釣るのを見ていた人もその中に混じっていたし、全然知らない人もいた。だれかが釣果を上げていると情報が情報を呼び、人が増えてくるのはどこの場所でも同じようだ。朝早くから来ている人がほとんどで、私が到着する頃には一番端の場所しか空いていないこともあった。

 よく早朝が食いがいいと夜が明ける前にでかける人が多いが、これは殆んど徒労である。

私自身何度か早朝に試してみたが、食いがたつのは九時すぎが多く、夜が明ける頃に釣ったことなどついに一度もなかった。それゆえ、この頃から朝はゆっくりと出かけるようになっていたのである。

 遅く来て、たとえ一番端のあまりよくない場所でも、エビの早がけは大いに威力を発揮した。すでに五、六人の釣人がいて、だれ一人釣っていなくても、後からきた私がものの十分とたたない間に釣ってしまうこともあった。
 
こんなときは先にきていた人には申し訳ないと思う気持ちとは裏腹に、何かしら優越感を抱いてしまうものである。彼らは早がけの技術を知らないし、何よりもこの場所にまだ慣れていない。そうではあるけれども、撒き餌だけはたっぷりとしてくれてあるので、私はその恩恵にあやかったのである。
 
ある人は私がエビで食わせているのを見て、自分も同じものにして試していたが、彼には釣れなかった。ウキが水中深く引き込まれないと合わせない通常の釣り方では、食いの悪いときは対応できないのだ。

 このようにして、かさらぎ池は私のホームグラウンドの感さえあった。他人が釣っていないのに自分一人だけ釣れるのは、最終的には気分のよいものである。
 
あまりにエサ取りが多すぎて、早がけさえ通用しないこともあった。そんなときはウキを外してしまい、ブッ込み釣りにして穂先でアタリをとった。いわゆるイカダ釣りの要領と同じで、エサはアケミの半貝を使った。底を這わせているせいか、割合に型の良いものが釣れたような気がする。

 一箇所の釣り場に精通することは、慣れるという意味でも好釣果を持続することができる。例えば、どのポイントでは根がかりが多いとか、ウキ下の浅深あるいは釣れる時間帯などである。
 
後から来て先にいた人よりも、沢山釣ってしまうことは、先人には申し訳ないが、気分の悪いものではない。以前は私にもそんなことが何度もあったわけだし、そのときの悔しさが釣技を磨くバネになったと考えている。
 
イカダに乗る
 
十一月になるとかさらぎ池は釣れなくなった。例年この時期になるとシーズンもそろそろ終盤を迎えるのである。クロダイたちは、より水深のあるところを求めて徐々に移動していく。これを「落ち」と言っている。


 そこで大型を狙ってイカダ釣りに挑戦することにした。短竿でのダンゴを使ってのブッコミ釣りで、穂先がウキの代わりになる。水深のある場所にイカダが設置してあることが多いので、大型に定評がある。シラはもう充分釣ることができたので、ツエに格上げしたかったのである。
 
わざわざイカダ用の短竿を購入し、前晩はツエを夢見て興奮してよく眠れなかった。
 
早朝に渡船屋に着き、イカダにあげてもらう。

 しかし、結果はさんざんなものであった。殆んどアタリはなく、サシ餌はそのまま返ってくるし、退屈極まりなかった。夕方までにまともなアタリはたった一度あったのみで、ハリに乗らず、魚は1匹も釣れなかったのである。                
 
イカダ釣りの難点は第一に料金が必要であるということであり、第二には一度イカダに上がろうものなら、釣れようが釣れまいが、迎えの渡船が来るまでその場を動けないということである。運よく釣れた場合は問題はないが、今日のような場合はどうしようもない。 

 ある人がいうには、イカダ釣りは業者があらかじめ撒き餌をして飼いつけをしてあるのだから、釣れたところでそれは当然のことなのである。要は釣り堀と似たもので、防波堤や地磯で自分で寄せて釣ることに比べたら釣趣に乏しいというものであった。この人はミノムシ掘りの名人で、自分で餌を採取し釣りもした。そんな人が言うのだから納得もする。 

 釣趣に乏しいというよりもあまりにばかばかしかったので、二度とイカダ釣りなどするものかと心に決め、その後専用の短竿は眠ったままである。

釣行記 5に続く