大いに逸走した幻の50p
 
 七月のある日、三輪を訪れた。その日はR氏の姿はなく誰もいなかった。
いつも釣る場所から5mほど離れたコンクリートの護岸の角から海底を覗くと、カケアガリの所に50p級が5枚ほど群れているのが見えた。潮は長潮、良い潮とはいえない。活性はさほど高くなく、一か所にかたまってじっとしているようだ。

 これらを私のポイントに寄せてやろうと考え、いつもの釣座からマキ餌を開始した。群れていた場所からダンゴの投入点まで直線距離で約10mである。

 釣り開始から約三十分、フグがハリ掛りした。マキ餌の効果が現れたと思い、もう一度例の場所を覗いてみると、すでに1枚もいなくなっている。

 「寄った」と確信した。大型のツエの群れは、私のマキ餌の範囲内に間違いなくいる。 型が大きいから、餌も大きくしてやれと、アケミ貝のムキ身を三つ縫い刺しにして打ち返した。ダンゴが底で割れ、ウキトップが海面に姿を現したと思ったら、またすぐに沈んでいく。………

 完全水没したので合わせたら、一瞬根がかりのように動かない。しかしすぐに走りだし、ものすごい勢いで底に潜り始めた。ボラの大型かと一瞬思う。だが相手は底に張り付こうとでもするかのように、やたら突進を繰り返す。

 ハリスは2号である。切れる心配はない。とにかく底を切らなければと、リールを巻き続けて浮かすことに専念した。

 大変な逸走である。ヘラ改造竿は根元の所から曲り、リールシートの部分がギシギシと音を立てている。同じ場所だけでやり取りせず、竿を横にして獲物と平行に移動する。何分経過しただろうか、かなり長い時間に感じた。カーボン竿の弾性と反発力は素晴らしく、飽くなき抵抗を見せた敵もついに屈し、海面に姿を現した。

 でかい、クチジロである。タモ入れは一発で決まった。久々の大物だ。

 獲物をスカリに入れ、また同じようにエサを刺して投入した。すぐにアタリが出た。

 だが、今度はスッポヌケしてしまい、ハリ掛りしなかった。3度目はバラしてしまい、地団駄を踏んだが、その後アタリはピタリと止まってしまった。

 どうも落ち着きに欠けていたようである。いつものことであるが、50pものツエを釣り上げた後は少し頭の中がブッ飛んでしまい、正常な思考力が暫くの間失われてしまう。ジアイが続いていたので、5枚の群れを全て釣ってしまおうとでも考えていたのであろうか。いくら釣り上げるまでの間は落ちついていても、その後興奮していたのでは大型は数釣ることができない。
 

 大型を少しでも数を出したいならば、合わせはできるだけ遅くするべきであろう。例えはじめの奴が早合わせで運良くハリ掛りしたとしても、その後のアタリでははじめのタイミングで合わすべきではない。

ツエは大きくなるほど警戒心が強く、ハリ掛りした仲間の異常な動きを察し、徐々に餌を口にするのをためらいがちである。あくまで冷静に合わせのリズムを遅らせていき、アタリがあったら、それこそ尻の穴まで飲み込ませるつもりで、じっくりと待つべきだ。

バラシは厳禁であり、もし一度でもそんなことがあれば、群れが散ってしまうことは必至である。小型の群れならばバラしても、さほど後に影響しないが、40p以上の大型の群れはほぼ完全に就餌をやめてしまうだろう。
 
 
しかし、滅多に出ないクチジロを仕留めて、その精悍な面構えを目の当たりにして、興奮するなというのは無理である。ハリ外しして、スカリに入れるまでの間も、その途方もない魚体の厚みは手に余るのだ。重量もただごとではない。逃がしてしまっては元も子もないと、ハラハラし通しなのである。

 大型を釣り上げた後、興奮しないで冷静でいられることは今だにない。

 このクチジロ、胸ビレが著しく発達し、体高はあまりなく、尾ビレの根元は見事にくびれていた。以前に仕留めたものはずんぐりしていたが、これはスマートで遊泳するのに適した体型をしていた。よく引いた道理である。

 また、これは見えていた魚であり、別の場所にいたものを、マキ餌におびき寄せて食わせたものである。もし、群れていた場所にマキ餌をしていれば、驚いて逃げてしまっただろう。まさに「してやったり」の感で、会心の釣りであった。
 

 アタリは止まってしまったので、群れは散ったと判断して納竿した。R氏に自慢してやれと、帰り道に彼の自宅に寄ったが、残念ながら不在だった。代わりに彼の奥さんが出てきて、あまりの魚体の大きさに驚き、その仕種がまるで少女のようでR氏とは対称的だった。彼女はスケールを持ってきてくれて、計測すると50pジャストである。ところが家に持って帰って魚拓に撮ると、49pに縮んでしまった。スケールが狂っていたのか、私が測り間違えたのかさだかではない。大方まだ興奮から覚めやらず、たぶん後者のほうであったのだろう。結局、それからも50pを超えるものは釣っていない。(ただし、このことは平成十一年八月に達成される。)
 

 盗まれたボートと南島との訣別
 

 昭和六十二年春、大江に潮干狩りに行った。浜に着いて仰天した。ボートがなくなっているのである。いちいち車に乗せて、家まで積んで帰るのが面倒だったので、浜に放置しておいたのが祟ったようだ。一応ロープで側の木の枝にくくり付けておいたのであるが、そんな対策では屁の突っ張りにもならない。どうせ冬の間に、誰かが軽トラックにでも積んで、持ち去ったのであろう。悪い人間がいるものである。悔しかったが何とも仕方がない、諦めることにした。

 ボートがないのに船外機があっても意味がないので、これもT君に安価で譲ってしまった。彼は例の奈屋浦での爆釣以来この釣りにハマってしまい、ボートまで購入して頑張っていたのだが、船外機までは手を出さないでいたのである。

 これでもう94号にも島影にも渡れなくなった。何やら拍子抜けした感じで、以後の釣行に大きく影響した。またその後も、よんどころない事情ができて、釣行そのものにも支障をきたすようになった。

 そんなわけで、この年は一度も釣りに行かなかった。さらに数年後、私は久居に転勤になってしまい、南島と事実上訣別せざるを得なかったのである。
 
釣行記 13に続く