災い転じて福となす
 

 平成八年三月、伊勢地区に新居が完成した。鵜方のアパートを引き払って、四月からこの家に住むつもりでいたら、計画に反することが持ち上がった。
 女房が南勢町の職場から転勤できなかったのである。私の場合、そこから和具までの通勤は時間がかかるるものの何とか可能だったが、彼女は通勤不能であった。

 仕方がないので、結局鵜方のアパートを残しておいて、二人とも今までどおりそこから通勤することになった。新居のローンと、アパートの家賃を二重に支払わなければならず、家計は火の車が予想されたが、夫婦が離れて暮らすわけにもゆかず、やむを得ないことであった。しかし私としては、今年も昨年までのように近くで釣りができるので、内心はほくそ笑んでいたのである。

 四月になって、桜の花が咲き始めても、暮らしは昨年と何も変わらなかった。本来なら、伊勢に住んでいるはずが、相変わらず海の近くで潮風を感じながら暮らしていた。

 六月の半ばにSセンターで初釣りをしてみた。水温は長雨のせいかまだ低めで、ハリにかかってくるものは、キュウセンやフグのみで、本命のチヌの気配はなかった。今年は梅雨時にかなりまとまった雨があり、昨年までのように異常渇水に悩まなくてもいいようだ。

 そのせいか、釣期が少し遅れ、七月の声を聞かないと、チヌの便りはどこでもあまり聞かれなかったのである。

 Sセンターにはその後も何度か釣行したが、はかばかしい結果は得られなかった。

 神明の堤防でもS氏とともに釣糸を垂れて見たのであるが、二人ともボウズであった。まだ時期草々であると二人で言い合った。どうも今年は少し釣れ出すのが遅れているようだ。
 


 相変わらずの釣友たち
 


 七月の半ばになると、いつもの年のように猛暑となった。勤務が終わってから、神明の堤防を訪れてみた。

 着いたのは六時過ぎであったろう。見るとT氏とO氏が二人で釣っている。昨年と同じ顔ぶれである。O氏は今年から紀州釣りに手を染め始めたようだ。T氏は今年が二年目で、昨年より、手慣れた様子である。

 彼らに会うのはひさしぶりであった。特にO氏などは昨年の夏以来である。挨拶を交わし、どうですかと聞くと、T氏は笑ってクーラーを指さす。

 T氏のクーラーの中を覗いたら驚いた。何と10枚以上入っている。形は小降りで、18pくらいのが大半だが、それでも25p級が2枚いた。午後三時頃からの釣果らしい。O氏は昨日20枚以上釣ったという。今年は彼らに先を越されてしまった。

 T氏のウキを見ていると、ダンゴをチヌがつついているのがわかり、ダンゴの中のエサをほじくりだして、ウキを引っ張っていく。私の見ている前で、30p級を1枚。これは紛れもなく、昨年釣られずに生き残ったものである。彼はさらに20p級を2枚、またたくままに追加した。

 二歳魚などはウキトップを半分ほど沈め、その後T氏が合わせずに放っておくと、そのままトップを海面に出したまま走り出して行く。


 今年も昨年と同じくらい魚影は濃いと確信した。形にバラツキはあるものの、30p級の混じるのが魅力である。今年は三歳魚数釣りの年だ。

 明日は熱帯性低気圧の影響で大荒れが予想されたが、カッパを来て釣っている自分を予想した。まさにシーズン到来の感であった。
 

 シーズン到来
 


 今年も夏本番になった。昨日のT氏とO氏の釣果が、私を興奮させていた。とはいえ、いたずらに朝早くから出掛けるようなことはせず、いつものように午後になってから出発した。


 堤防に着いたらだれもいなかった。熱低の影響はたいしたことはなく、風も波も気にならず、雨が降っているだけである。雨天の日など、釣りに出掛けるのは億劫なものだが、今日は昨日の様子から、釣れることは間違いないのである。雨が降ろうと気にせず、また、釣れることを確信してカッパを着用して釣り始めた。

 言い忘れたが、この堤防は昨年より増築され、倍以上の長さになって湾中央まで突き出ていた。私が今回釣座したのはその先端の内側である。なんでもS氏の話では、夜懐中電灯で照らすと、沢山の魚影が見えたのがこの場所らしい。昨年の私たちのポイントで釣っていたO氏に、S氏がこのことをアドバイスしたら、O氏は期待どおり釣ったということだ。魚はいるところで釣って初めて釣れるものである。また堤防の増築は魚の生息場所を変えてしまったようだ。


 最初からアタリが出る。昨日の両氏のマキ餌が利いているのであろう。
 フグがいるようだ。そのうちにチヌも食うだろう。

 そのうちO氏が現れた。私に23pが釣れる。本年度初物である。次に31p。よく引く。このサイズのものが数釣れるといいのだが。

 T氏も登場である。一昨日は今まで釣ったことのないような大型を掛けて、タモですくおうとしたらハリが折れて逃がしたと言う。どれ程のものか分からないし、ハリが折れるなど余程のことでないとないが、一応納得しておく。


 結局、暗くなるまでに、私が18から31pまでを7枚。O氏は18p級を5枚。T氏は23p級2枚と30pを1枚と、それぞれの釣果に終わった。


 18p級は少なくとも二歳魚である。今年は成長が遅かったようだ。このサイズが多い感がある。期待の30pを越えるものはそんなに数出ない。最大はT氏の昨日釣った34pである。


 大釣りを期待していたが、そうでもなかった。でもまあいいだろう。シーズンはまだ始まったばかりである。Sセンターでも期待できそうだ。
 

 Sセンター
 

 昨年40pを超える良型を相当数仕留めた実績から、今年はSセンターに期待していた。あわよくば夢の50pをと、そんな気持ちもないではなかった。しかし、何度か釣行してやっとハリに掛かったのは、堤防で釣れるものと変わりなく、おびただしいエサトリの中に一枚混じる程度であった。


 それでも、行くたびに釣況は良くなっていくように思われたので、今期よく通い続けたが、一番良いときで30p級を3枚であった。


 今年は三歳魚の年であることは分かっていた。しかし、思ったほど数が出ず、たった1枚の三歳魚を期待して半日を潰すのに、少し飽きがきていた。


 Sセンターの昨年と変わったところはアジを飼っていることだった。何でも漁協の経営する釣り堀用とかで、かなりの大きさのものを多数イカダの下に泳がせていた。密触するせいか、死んでしまうものが跡を絶たず、いつ行っても死んだ魚が浮いているのはあまり気持ちのいいものではない。もちろん飼料も与えているから、そのおこぼれにあやかってチヌも寄ってきそうなものであるが、あいにくそんな様子もなかった。


 そんなわけで、今年のSセンターは期待外れに終わった。今年イカダ釣りの営業を始めた漁協の理事と知り合いになったのみで、結局その人のイカダへも行かずにしまった。
 


 O氏
 

 O氏の紀州釣り開眼は先に書いた。彼はいつのまにか、ダンゴを使ってチヌを釣ることの魅力に、完全にとりつかれてしまっていた。その執着心は尋常ではなかった。それこそ朝から晩まで、ダブルヘッダーで堤防に座り込んでいるのである。


 O氏のT氏と違っていた点は、だれにも教えを求めなかったことである。彼は見よう見まねで釣技を磨いていた。ダンゴに関しては最初は市販のものを使っていたが、やがて私やT氏のアドバイスから自分で調合するようになったようだ。


 彼は妙なことに、ダンゴをゴミ袋の中にいれていた。しかもそのゴミ袋は阿児町専用の一枚百円のものである。というのは阿児町では三年ほど前から、可燃物ゴミを出すときには、その一枚百円のゴミ袋を使用するか、市販のゴミ袋には同じく百円のシールを貼付しないと収集しない制度なのだ。出るゴミを減らす環境保全のためなのだろうが、そのくせ、焼却器を持つ家庭にはいくらか補助があり、ダイオキシン発生に一役買っているというこの町には矛盾がみられた。

釣行記 26に続く

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