R氏と三輪真珠跡

 昭和六十一年六月末、阿曽浦の三輪真珠跡に釣行した。
 阿曽浦は道方から慥柄(「タシカラ」と読む。三重県はこの様に難読地名が多い。)浦の3分間信号を越え、赤い橋を渡ったところにある。三輪真珠跡はさらに阿曽浦の集落からくねくね山道を行ったところにあり、大江から対岸に見渡せる。

 この三輪真珠、すでに紹介した94号や島影より規模が大きく、最盛期にはかなりの産出量を誇ったようである。養殖場だけでなく、加工場もあったようで廃屋の規模が大きかった。廃屋の前にはコンクリートで出来た桟橋のようなものがあり、いわば堤防の骨組みのようになっていた。

 いちいちボートを使う必要もなく、急な坂を降りるだけで、直接釣り場に到着できる
便利な場所だったのである。

 ポイントの水深は深く、4ヒロ以上あり、固定仕掛けでは不可能だった。そのせいか大型の魚影が濃く、I氏からもそのことは聞き及んでいたのである。

 この場所でR氏という人と知り合った。彼は私よりも年は若く、実に人なつっこい性格であった。話し掛けてきたのも彼のほうからで、その後電話連絡などを取り合い情報交換するまでの仲になる。

 このR氏、話題の方向性が通常の人とは異質であった。というのは、やたら喧嘩をしたとか、人を殴ったとか物騒な話題が多いのである。まあ、若いので、そのようなことも言いたいのだろうといい加減に聞いていると、何と彼は職業がヤクザであると自称するのである。

 流石に驚いたが、半信半疑でいると、彼は名刺までくれた。確かにその種の名称が名刺に羅列してある。

 R氏の職業が何であろうと、彼とは釣りを通しての知り合いで、職業は問題でないと思われた。事実彼は釣りに関してとても熱心であり、話題が異常である以外は好人物そのものであったからである。

 彼がヤクザであることはあまりピンとこなかった。私と彼とは単なる釣友に過ぎなかった。はっきりと彼がその手の職業であったと認識したのは、ずっと後のことで、ある日の新聞を読んでからである。

 何と知り合ってから半年も経たないうちに、彼は発砲事件を起こし、刑務所に入れられてしまったのである。私の損害は初期の釣行記であった。

 というのは、私が釣行記をつけているということを彼にもらすと、是非貸してほしいというのである。あまりに熱心に頼むので、ノート一冊を渡したのだが、後の祭りとなった。

 別に彼がヤクザであるから、頼みを断ると後が恐ろしいと思って貸したわけではない。同じ釣り仲間の研究熱心さに、共通した心情を覚えたからである。実に純粋な気持ちであった。

 しかし、R氏は服役中私の釣行記を読んでいたかどうかさだかではなし、悲しいかなそれは返却されないまま現在に至っている。彼が出所したかどうかは知らない。

 三輪でよく彼と一緒に釣った。数は少ないが中型が顔を見せ、彼も調子よく釣り、怪気炎をあげていた。
 

釣行記 12に続く