安乗(アノリ)の北西風
 
 土曜日の午後、N君と事務長と私の三人で、車を三台連ねて浅浜へ行った。ところが工事中で立入禁止の立札がある。あの現場監督めといまいましかったが、三人も釣らせてくれと言うのもしゃくに触るので、またしても車を三台連ねて今度は安乗へ向かった。
 安乗は甲賀の北にあり、阿児町の最北端に位置し、的矢湾に面している。安乗崎灯台の展望台からの眺めは風光明媚で知られたところだ。

 この安乗漁港に二年前に堤防が増設され、その内側の新しい護岸が今回の釣り場である。

 浅浜はこの頃工事をしていることが多かったので、一度ここで試し釣りをしてみたら、浅浜と同様の型が8枚と1枚だけ少し型のいいのがきた。ただ、アタリが鮮明でなく、全く初心者の事務長には不向きだと思われたが、入門者向けの浅浜が立入禁止では仕方がない。

 伊勢在住の事務長はN君からいろいろ吹き込まれたようで、勤務中でも釣具の手入れに余念がない。職場から釣り場へ直行である。ただ着替えは持ってきたものの、靴までは気が回らなかったようで、ジャージに革靴という不釣合なスタイルである。

 彼は釣りは初めてなので、私にいろいろ教えてほしいと言ったが、全て指導はN君に任せて放ったらかしにした。実に無愛想なものである。

 この場所は今の時期は北西風の強いところで、波が高く、穏やかな日は少なかった。その日は特に波が高く、いつもの孔雀の羽根製の棒ウキでは波に見え隠れしてアタリが分からない。

 そこで私はそのことを察するやいなや、硬質発砲製の真っ赤な玉ウキに交換した。玉ウキはこんな日には波によく乗り、アタリは確認しやすい。ただ、浮力があるので、魚が食い込む際にかなりの抵抗を感じ、食い気がないときは少し不安がある。先日もアタリが鮮明でなかったため、気になったが、結果として杞憂に終わった。

 というのは底を20pも切り、ダンゴが割れてウキが浮いてくると、前アタリの後すぐに消し込んでいくのである。実に気分のよいアタリであった。夕方近く、ダンゴが割れたはずなのにウキが浮いてこない。よく見ると海面下10pほどで漂っている。不思議に思って合わせてみると、これが26pであった。

 このように安乗はいつも1枚だけ少し型のいいものが混じった。この日は15〜20pが15枚とこの1枚の釣果であった。N君は小型3枚、事務長は気の毒ながら坊主に終わった。N君でさえアタリがわからないと嘆いていたくらいだから、初心者の事務長には日が悪かったようである。事務長の名誉のためにつけ加えるが、他にも釣人がいたが全員坊主で、釣ったのはN君と私だけだったのである。
 
 アケミ貝
 
 
浅浜や安乗ではアケミ貝の餌をメインに使った。この貝は河口の汽水域に生息し、チヌ釣りに使われるようになったのは二十年程前らしい。貝殻が柔らかいので、そのまま丸貝にして使う人も多く、大型は殻ごと噛み割って食べてしまうが、他の魚はまず食ってこない(フグは別である)。

 だが、私は丸貝で食わせることを嫌った。餌持ちがよすぎるのでエサ取りさえつつかず、それ故海底の魚の状態が予想しにくく、釣趣に乏しいからである。それにどうしても「待ち」の釣りになり、打ち返しの回数が減ってしまう。ハリを貝の中に埋め込むため、ハリスが擦れやすく、思わぬバラシの原因にもなりやすい。以前、晩秋の贄浦で、丸貝を試したがアタリがなかったので、ムキ身にした途端に40p級マダイが食いつき、タモ入れ寸前にハリス切れでバラした苦い経験がある。

 もっとも今回のサイズには丸貝などナンセンスで、半貝も使わなかった。

 アケミ貝は食いがよかった。勿論ムキ身で使ったが、生きエビよりもよくアタリがでた。秋になると動かないものよりも、よく動く餌に興味を示す筈であるが、本年ほど魚の数が多いと、より大きいものの方が目立ちやすいのであろう。おなじアケミ貝でも、大きい方がよくアタリが出た道理である。

 それにこの餌は他の生き餌よりも管理がしやすい。余分がでても、海水で洗って冷蔵庫の野菜室に入れておけば二、三日は生きている。エビのように活かしておく装置は必要ないし、ミノムシのように袋から出すのが面倒でない。もっとも、ミノムシは一番釣りやすい餌であったが、私の住んでいる地方には販売していなかった。

 値段が安価なのも魅力であったが、最近の高騰には驚くものがある。あまりの需要に国内産だけでは間に合わず、韓国や中国のものが出回るようになったが、韓国産は大きすぎて閉口する。しかし、この年はまだ国内産だけで充足されていた。

 
 アタリ一考
 

 安乗では小グレが異常に多かった。他にも勿論エサ取りはいたが、小グレの比ではなかった。
ダンゴが割れてウキが海面に姿を現すと、まずトップを沈めていくのはこの魚であった。ハリを大きくしていたので小さい口に掛からず、空振りの時もあったが、最初の水没で合わせると大抵はハリ掛りした。よくもまあ、こんな小さい口にと驚嘆するほど、口一杯にハリをほおばっているのである。

 しかし、こんなことをしていては、終日グレを釣る羽目になる。そこで最初の水没では合わせずに、二度目の完全水没で合わせると、上がってくるのはグレでなくカイヅであった。

 よく見ているとグレのアタリとカイヅのそれでは明確な差異があった。前者は勢いよくピュッとウキ沈め、後者はゆっくりと沈めていく。

 グレはウキを沈めても、小さいので餌を完全に食いつくせず、少し残すようだ。その残った餌をカイヅが横取りするのである。それゆえにアケミ貝は、大きい方が餌が残る部分が多かった。オキアミなどに交換したりすると、すべてグレに食いつくされ、目当てのカイヅまで餌はもたなかったのである。

 最近開発された餌のコーンも、グレは取っていく。コーンは3つほどハリに刺したが、この餌には本物は食わなかった。もっとも他の人はこれで釣っていたが。

 やはりアケミ貝が食いの点でも、餌持ちの点でも群を抜いていた。

 少し、型の良いもの(25〜30p)はウキを完全に沈めていかなかった。前アタリの後、少し沈めて数秒間静止させているものは前述したが、この手のアタリは最もよく見られた。他のアタリではトップがモゾモゾとした後、ピッピッと小刻みに震えるだけのが二、三度あった。実はこのモゾモゾが前アタリで、ピッピッが本アタリなのである。ピッピッのあと少ししてから合わせると完全にハリ掛りしており、中には飲み込んでいるものもあった。そしてこれらはほとんど30p近かったのである。
 

] チヌの群れでは、年齢的に異なる集団が群泳する場合、上の年齢のものは下のものより複雑かつ小さいアタリを見せるようである。それに安乗では、上の年齢集団は夕方に回遊し、下のものはその頃になると食ってこなかった。特に風が弱く穏やかな小春日和の日は、この傾向が顕著で、日が暮れてウキが殆んど見えなくなっても、30p級が数が出ることがあった。
 
 浅浜の爺さん
 

 安乗での数釣りは一番多い日で、26枚であった。ここは浅浜に比べて、少し型の良いものが混じるのが魅力であったが、数釣りではやはり浅浜に分があった。

 浅浜は工事中だろうと思い込んでいたのだが、何と十月の下旬になると工事は全て終了し、内側の堤防に北向きに高い壁が出来ていた。あの現場監督めなかなかやるわいと感心して、すでに立入禁止の立札の取り払われた浅浜を訪れた。

 昼過ぎに堤防に着いたら、小さな粘りのあるダンゴをハリスに握り付け、手を使わずに竿の弾力で仕掛けを飛ばすお年寄りに再会した。夏に外側の堤防で出会った人である。

 すでに顔見知りになっていたので、どうですかと聞くと、4枚上げたと答える。彼の夏と異なったところはポイントを近くにしていることと、ハリをダブルでつけていることである。

 チヌ釣りにダブルのハリとは、キスやカレイ釣りでもあるまいし、随分チヌに対して失礼な話である。いくら小さいといっても一応チヌには違いないのだから、初めて見るこの乱暴な仕掛けに半ば言葉を失った。

 私は釣り始めると、一時間も経たない間に5枚も上げてしまった。彼の今までの釣果を越えてしまったのである。

 お年寄りは気になるのか、ハリやハリスの号数をしきりに聞いてくる。

 ここまではよかった。問題はその後である。

 彼はいつのまにか、私が仕掛けを上げた後を見はからったかのように、私のポイントに自らの仕掛けを投入し始めた。相変わらず、手を使わずに竿の弾力で仕掛けを飛ばし、ハリはダブルでである。しかも、憎らしいことに、釣るのである。さらに腹の立つことには、竿を上げたときにやたらよく引くなと思ったら、何とカイズがダブルのハリにちゃんと2枚ついているのである。

 あまりに厚顔無恥なので、文句を言ってやろうと思ったが、こんな年寄りにいちいち大人気ないと思い直してやめにした。

 この爺さん、私が仕掛けを投げ込もうと、じっとダンゴを持って待っていると、遠慮したように自分の仕掛けを上げるのである。そして私が魚を取り込んでいる間に、待っていたかのように仕掛けを放り込み、釣るのである。しかも、一度に2枚が3度あった。

 後にも先にも、全く同じポイントで他人と一緒に釣りをしたのは、これが最初で最後であった。

 私が幾らマキ餌をしても、爺さんのためにしているようで実に空しかった。

 結局この日は23枚しか釣れなかった。半分は爺さんに取られたようである。爺さんは何枚釣ったかは知らない。ひょっとしたら、ダブルで3度の分だけ、私より多かったかもしれない。

 シーズンの終り
 

 十一月の中旬になると、安乗にシラの姿が消え、釣れるのは20pまでのカイヅのみになった。やはり、大きいものから順に落ちていくようだ。さらに下旬になると、カイズも食ってこなくなり、カワハギや小グレだけがハリ掛りするだけになった。どうやらシーズンは終わったようである。
 この年は二百六十三枚の釣果となり、昭和59年度の南島での二百三枚を大きく上回った。ただ、釣果の大半は16pから20pに満たないものであり、これらはどうやら当歳魚と思われた。当歳魚は今浦以来釣らない主義であったが、当歳魚は15pに越えないものであるという通念があったので、今回は例外として釣果にカウントすることにした。

 この地方の当歳魚は南島や鳥羽方面に比べて大きい。そういえば、I氏が的矢湾のカイヅは成長が早いと言っていた記憶がある。そういうことも考えられるが、産卵も早いのかもしれない。早く生まれたら、その分夏の十分な餌を食べて成長するのは当然である。それにしてもこの年はカイヅが異常に多かったので、翌年のシラが楽しみだ。異常なほどの暑さと渇水が、このことに関係したかどうかはさだかではないが、何にしても海はまだまだ豊饒である。

 平成六年はこのように暮れた。
釣行記 17に続く