甲賀(「コウカ」と発音する「コウガ」ではない)浅浜での釣りの再開
 
 平成六年、志摩町に転勤になった。今度の職場は周囲を海に囲まれ、すぐ近くに魚が泳いでおり、しかも水産業に大きく寄与していた。

 住居は阿児町に構えた。周辺に釣り場は散在し、しかも近かった。

 甲賀は同じ町内にあり、浅浜は以前からチヌの実績の高いところである。外側と内側に堤防があり、内側のものはまだ工事中であった。外側堤防の近くには磯があって、至る所に沈み磯が点在していた。生息条件にはこの上ないところで、大型も潜んでいるということだ。

 七月下旬、外側堤防に釣行した。数年ぶりの釣りである。浅浜の名の如く遠浅の海で、ウキ下はわずか1ヒロ半しかなかった。私以外に紀州釣りをしている人が三人おり、揃って遠浅の海にダンゴを放り込んでいた。

 彼らは三人とも著しく遠くにダンゴを投げていた。20mは投げていただろうか。そのうち二人はオーバースローで、まるで野球選手のように投げていた。スピニングリールを使用し、ウキは誘導仕掛けである。タナが浅いのにこの仕掛を用いているのは、ポイントを遠くに作っているためであろう。

 一人はかなりのお年寄りで、オモリの部分に小さく堅いダンゴを握り付けて、竿の弾力を利用してやはり遠投していた。

 彼らの釣り方は私の主義にことごとく反していた。私は紀州釣りに遠投など必要ないと考えていたので、南島での時のようにタイコリールを使い、ウキは固定、ポイントは近くにして釣り始めた。

 だが、釣れるのはアイゴやボラばかりで、チヌは食ってこなかった。他の3人はよい人でシラを2、3枚、また一人は40pを超えるものを1枚上げていた。

 大変気分が悪かった。いくら彼らの後から釣り始めたとしても、私に1枚も釣れなかったのはどういう訳だろう。こんなことは紀州釣りを始めて間もない頃にあっただけである。

 長いこと釣りから遠ざかっていたから、腕が鈍ったのだろうか。そんなことも考えたりした。
 彼らの釣り方と私との違いは、彼らは遠くにポイントを作り、私は近くに作っていたということだ。あとはさほど相違はなかった。そこで、次回はスピニングリールと誘導仕掛けにして、再度試みた。

 あまり気が進まなかったが、ダンゴを思い切り遠くに投げた。ところが途中でダンゴがバラけて、空中分解してしまう。仕方がないので今度は小麦粉を入れて粘りを持たせると、着底後なかなか割れず、ウキが浮いてこない。何度かダンゴの調整をして、やっとまともにアタリが出るようになったと思ったら、釣れるのは前回と同じボラやアイゴばかりである。いいかげん嫌気がさしてしまった。

 あれほど南島では釣りまくり、腕にも多少自信があったはずなのにと、半ば自信喪失した。

 前回40p級を上げていた人は、ここではハリスを底に這わせないと釣れないという。成程と思い、ハリスを50p程、底に這わせてみたが、ダンゴが割れるときが分かりにくいし、アタリはいきなり消し込むものが多く、前アタリがない。チヌのアタリは前アタリが二、三度あって、それからゆっくりとウキを沈めていくものが一番多いのだ。前アタリが後の本アタリを予想させ、これが釣趣となっているのに、それがないのであるから実に味気ないものであった。

 ある人は底を切っても食うと言っていた。どうしても底を這わせる必要はなさそうである。だが、大抵の人はよせばいいのに遠投し、ハリスを底に這わせていた。

 私はわけがわからなくなった。何故みんなこんなことをするのだろうか。場所が違えば釣り方もかわるし、仕掛けも違う。そんなことは理屈では分かっているが、果たしてここでは近くでは食わぬのであろうか。餌を底に這わせないと釣れないのであろうか。しかし、多くの人が遠くにマキ餌をしておれば、当然魚は遠くに集まるはずだから、近くで釣っても分が悪いように思われた。

 とにかく私には釣れなかった。釣れなかったら、釣っている人の方法を参考にするのは当然のことである。プライドを捨て、今までの主義も顧みず、遠投しハリスを底に這わせてダンゴを投げ続けた。

 しかし、やはり釣れない。ハリ掛りするのはボラばかりである。このボラという魚、チヌ釣りにはつきものだが、この魚の顔を見るのさえ嫌んなった。やたら引き込むし、魚体はでかいし、頭ときたらまるでヘビのようである。おまけに釣り上げたときの独特の臭気ときたら、耐えられないものがある。いくらでかくても、玉網を使うことさえ、気が進まなかった。タモに臭気がつくからである。そうかといってたぐりあげるのも、2s以上あるものはハリス2号でも大変だ。

 それに、逸走力が極めて強いので、大型のツエかと一瞬錯覚し、期待外れだったときの、がっかりした気持ちはこの上ない。

 一体ボラの引きとツエの引きの明確な差はあるのだろうか。よくよく考えてみれば、両者共ハリ掛りしたときに頭を振るが、前者は鈍角的に振り、後者は鋭角的に振るように思われる。しかし、やり取りしている最中に、そんなことを考えている暇はないのである。ボラと思ったらツエのこともあったし、ツエと確信したのに何だボラかと天を仰いだことが何度もあった。結局は釣り上げてみないと判断できないのだ。

 今回の場合は、腹の立つことに後者ばかりであった。シラもツエも全く顔を見せてくれなかった。

 自信喪失した。もう釣りを断念しようかとさえ、本気で考えたこともあった。それ程この時の落ち込みは激しかったのである。

 だが、ボラのいるところには必ずチヌがいる。第一、他人は釣っているのである。そう考えて、気を取り直し、今度は内側の堤防で再再度挑戦することにした。

 内側の堤防は外側のものよりも釣座が低く、ボラ掛けても取り込みにはタモを使わずに済み、少しは楽に取り込めそうだった。それにここの釣人はさほど遠投しておらず、ポイントも比較的近くだったので都合がよかった。

 しかし、ここでもやはりボラは釣れ盛り、もう嫌になるほどたぐりあげた。半ば自失しそうになった頃、やっとチヌが来た。実に五年ぶりに見るシラの顔であった。

 その後は釣行の度にたった1枚であったが、シラに出会えたが、相変わらずボラが多すぎた。ボラに吸い込まれないようにハリを大きくしたり、ボラが嫌うというにんにくをマキ餌に入れたりしたが、効果はなかった。

 サシ餌を底に這わせている限り、ボラ対策はないように思われた。アタリもいきなりケシ込むのでチヌと見分けがつかなかった。

 ボラという魚だけはどうしようもなかった。いわば宿命である。チヌを釣る限り、ボラという魚は避けて通れないようだ。

                 釣行記 14に続く