季節は

 最近の冬は暖冬が多いが、今までとは違い、寒くなるのが一カ月遅れのような感がある。十二月になっても一向に寒くならず、本格的な冬が来たのは今年も年が明けてからだった。昨年十二月に福井県に出張に行ったときも、雪など降っておらず、タクシーの運転手が今までの冬と違うと言っていた。

 私は思うのだが、今までは十二、一、二月を冬と言っていたが、これからは一、二、三月を冬と言うべきなのではあるまいか。だから三月になっても春が来たわけではなく、四月になってやっとそれらしくなり、六月まで続くのである。そして、七月になってやっと夏が来て、暑さは九月までおさまらない。秋は十月から十二月までだ。

 今年二月の黒潮水温はやたら高く、熊野灘沿岸で18度もあるらしい。そのせいかグレがやたら活性化していて、中北氏は南島町阿曽浦の磯へ行き、相当な釣果をあげていた。

 彼は雪花の散る極寒の日にも磯にいて、それでもグレは勢いよくウキを沈めていくと語っていた。ひどい風で隣の人のオキアミのマキ餌が顔にかかるらしい。その日は陸でも雪が降り、車にチエーンが必要なのではないかと感じたぐらいだ。

 よくそんな日に釣りに行ったものである。しかし、彼のような剛の者は他にもいるらしく、磯には沢山の釣り師が竿を振っていたらしい。これも黒潮のせいだろうか。それとも海から離れられない釣り師の性なのだろうか。
 

 
釣友たち
 

 最近は同僚たちと一緒に釣りに行くことが多くなったが、もともと私は単独釣行を好んでいた。一人で行くと気が楽だし、そこでいろいろな人たちと知り合いになれることもある。

 そんな中で今までこの文章の中に出て来なかった人たちのことを記そう。

 一人は樋面(といめん)氏である。彼と知り合ったのは南島町大江浜であった。大江については前述したが、初期にシラの釣れるところである(「釣行記 2・大江のシラ」参照)。彼はここの主のような人で、暇さえあれば釣り糸を垂れていた。地元大江に住んでいるので、いつでも好きなときに出て来られたせいもあろう。

 南島には当時エサ屋がなかったので、彼は大江川に生息する川エビを採取して釣りエサに使っていた。I氏や私は近くの養鰻場でエビを買っていたが、彼はエサを買うということがばかばかしかったのであろう。その川エビで、何と47pの大物を釣り上げていた。もともと大江浜はシラが中心でこんな大物は滅多に釣れなかったのに。

 彼は私より一回り以上年上で、土建屋をしていた。子供を小さいときに亡くしたらしく、奥さんと二人暮らしだった。飾らない、気さくな人なので、よく電話で釣況の連絡を取り合ったものだ。

 彼は大酒のみだった。納竿後、道方にある半分傾きかけた居酒屋のような所へ通うのを常としていた。私も一度誘われてお供したことがあるが、ボロボロの店で、つまみといえばおでんと、するめぐらいのものだった。そのおでんが、十日以上も前から煮込んであるような、物凄い色なのである。

 彼はそこで美味そうに焼酎を呑むのであった。真っ黒いおでんをつつきながら、彼との釣り談義は楽しいものだった。卵などはほとんど薫製に近かったような気がする。

 その店も今はつぶれてしまったのか、もう見ることが出来ない。樋面氏も最近連絡がないので、どうしているかも知らない。


 もう一人は木登(きのぼり)氏である。彼と知り合ったのはかさらぎ池だった。そのころ彼はまだ紀州釣りを知らず、投げ竿で適当に釣りをしているという感じだった。そのうちどこでどう覚えたのか、紀州釣りをするようになり、よく釣り場で顔を合わせるようになった。

 彼は地元の小学校の先生をしていた。よく同僚と一緒に来ていたが、その人の方が上手で、彼はいつも釣れないので「ボウズの木登氏」というあだ名があるといっていた。

 しかし、一年も経つと木登氏はいち早く上達し、ボウズの名を返上した。 このころになると奈屋浦の堤防がよかったので、ここで一緒に釣りをした。やたらに大きなダンゴを作り上げる人で、その着水音はとても大きかった。

 夏のことで、堤防の裏側で小学生が多く泳いでいた。その中には彼の担任する子供もいたらしく、彼はその子らにエサや氷を買いに行かせ、自分は釣りに熱中していた。彼は子供らにジュース等を与えることも惜しまず、実に微笑ましい光景であった。

 よく堤防には、釣り人の落としていったハリや糸が落ちているものである。ある時、木登氏はその落ちていた仕掛けに、間違えてエサをつけ、ダンゴで握り込んで投入し、澄まし顔でアタリを待っていたという。勿論本当の仕掛けは彼の手元にあったのであるから、魚信はあるはずがなかったが、彼はそのことを隣の人に言われるまで気づかなかったらしい。

 彼はそのころ大江に住んでいて、一度だけ彼の住まいにお邪魔したことがある。独身のせいか、食事の支度をしたような様子もなく、殺風景な部屋であった。彼はお茶でもどうですかと湯を沸かし、私を饗応してくれるのであった。

 ところが、湯が沸いて、彼が茶筒を開けるとそこにはお茶の葉が入っていなかった。
 木登氏は私に白湯を差し出し、「まあ、湯でもどうですか。」と言ったのである。…
 彼は今では結婚し、子供も成長しているという。釣りにはあまり行っていないようであるが、相変わらず自然のものに興味を示しているらしい。
(平成十二年三月)

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釣行記 完 続きは「新釣行記」