大清戸 1
 

 八月に入ると、神明堤防の食いは落ちつつあった。今年はやたら小型が多く、20pに満たないものさえ混じっていた。期待していた30pを超えるいわゆる三歳物はポツポツしか上がらなかった。

 Sセンターでも同じだった。ここで釣れるのは全て三歳だが、半日粘っても1、2枚のことが多く、数は望めなかった。昨年八月に50p級の群れを確認したという噂を、自らの実績からも半ば信じていたのだが、40p級さえ姿を見せなかった。


 そんなわけで、三歳魚の数釣りは断念せざるを得ず、その代わりに大型を狙うことにした。何としても今年こそ50pを超えるもの手中にしたいと考えた。志島、坂崎、的矢など釣り場の開拓をかねて、二時間をめどにダンゴを投げてみたが、どこもかしこもはかばかしくない。安乗ではある遠投人が40p級を仕留めたのを目撃した。ここでは既に遠投しないと釣れなくなっており私のフィールドからは遠のきつつあった。


 そんなとき、S氏から立神の大清戸のことを聞いた。彼は
そこにイワムシを掘りに行ったときに40p級を目撃したというのである。彼は見えている魚は食わないと断言したが、私はその話に大いに興味を持った。南島で実証済みのように、見えている魚は食うはずだ。そこへ早急に調査に行くことにした。8月下旬の夕方のことである。

 大清戸は英虞湾の奥深く入り組んだところで、潮の流れはよどみ、真珠イカダが無数に浮かんでいる。私が訪れたとき、真珠業者は貝掃除の真っ最中であった。一人の釣人がオキアミを撒きながら釣り糸をたれていた。彼は釣り雑誌等に何度も寄稿している有名なU氏である。このような人がここにいるといういうことは、情報が飛び交っていて、可能性があるということだ。

 どうですか、釣れますか。と訪ねると、今日はまだ釣れませんが、いつもは30cm級がポツポツということだった。もっと大きいのがいるときいたのですが。と言ってみると、でも見えているやつは食わないから、と答える。

 彼はスピニングリールでやや遠投し、ウキの頭めがけてオキアミのマキ餌を打っていた。潮の流れが緩やかなので、マキ餌はあまり拡散しない。

 対岸には真珠筏があり、業者は今日も貝掃除をしていた。アコヤ貝に付着したフジツボなどを削ぎ落として、真珠の身持ちをよくするためであろう。当然下に落ちたこれらの貝の「アカ」は格好の魚の餌となり、昔から貝掃除の時の筏の下には、チヌがいるものとされていた。

 あの筏の下にはさぞ大きいのがいるでしようね。ええ、間違いないでしょう。気味が悪いほど大きいのがいるとよく聞きますからね。などと、彼と話していた。だが、まさか作業中の筏で釣らせてもらうわけにもいくまい。頑張ってください。と、彼に声をかけ、その場を後にした。

 次の日、今度は釣行した。昨日U氏のいた場所は勿論のこと、周りには誰も釣り人はおらず、対岸では相変わらず貝掃除をしていた。この場所は相当奥まったところであり、地元の人でもあまり訪れることがないそうである。

 昨日U氏のいたところに場所を決める。彼の撒き餌がまだ残っていると判断したからだ。

釣り初めて暫くすると、一人の釣り人が現れた。話を聞いていると、どうもU氏の連れらしい。U氏は昨日30p級を1枚上げたというのだ。私の来たときにはまだ釣っていなかったから、あの後のことだろう。


 彼は私よりかなり離れたところに釣座した。前に屋形筏のあるところである。たぶん彼はU氏の釣果を聞き、私のいるところで釣ろうとして来たのに違いない。しかしそこには既に私がいたので、場所を移したのであろう。


 何はともあれ、釣り始めることにした。一応実績はあるようだから、ボウズということもないだろう。

 しかし、一時間以上経っても、まるで反応がない。浮き下は浅く、一ヒロ足らずである。

 つまらないので、竿を置きその辺をブラブラ歩いてみた。見ると少し離れたところに舟がつながれている。何気なしに、その下を覗いてみたら驚いた。二、三歳級が数尾泳いでいるのである。当歳子やボラも見られ、それらは舟の下で暑い日射しを避けるようにゆっくりと回遊していた。

 彼らはそこを離れるような気配はなかった。夏の日中なので、このような内湾の浅瀬では日射しが身体にこたえるのであろう。

 私は南島の三輪真珠跡でのことを思い出した。あのときは、このような状態で群れているのを、自分の釣座の下に誘き出し、してやったりで49pを仕留めたのである。

 私は彼らのいる場所より潮上へ道具を運んだ。あのときは、たしか7mくらい離れて釣座をとったのを思いだしたからだ。

 釣り始めると、ウキ下は先程の場所よりさらに浅く、一ヒロ足らずである

。あまりにも浅い。今までこのような浅すぎる所で釣りをしたことがない。少し不安を覚えるが、潮上にマキ餌をしている以上、舟の下にいる彼らは必ず寄ってくるはずだと確信して、ダンゴを打ち返し続けた。


 20分後一気にウキを沈めるアタリがあり、キビレがあがってきた。何だキビレかと少し残念に思う。この魚は魚拓にするとチヌと見分けがつかないが、体高があり、ウロコが大きく、ヒレが黄色い。キビレと呼ばれる所以だろうが、焼いて食すると身が柔らかく、大味である。チヌのような繊細なアタリは見せず、いつも突然ウキ入れしてしまい、釣趣に欠ける。そんな理由から私はキビレを嫌っていた。

 一息ついて、もう一度舟の下を覗きに行くと、相変わらず彼らはそこから離れていなかった。

 釣れたキビレはいわば通りがかりの獲物であり、彼らとはグループが別のようだ。


 なかなか私の竿下に寄らないので、もっと近くに行ってやれと再度約4mほど移動した。彼らから見れば、私は約3m潮上にいることになる。すぐ傍に舟が見える。これ以上近くになると彼らも警戒するだろうし、ここが限界であうと思われた。

 一時間以上経過したように思われた。夏の日は少し傾きかけている。彼らは舟の下から出てくることをためらっているようだ。

 五時前にウキに少し変化があり、その後ゆっくりと沈んでいったので合わせると、31pであった。これはまぎれもなく舟の下にいたものであろう。覗きに行くと既に一尾もいなくなっていた。いま、彼らは間違いなく私の竿下にいるのだ。

 20分後20p。さらにその後28pが上がり、日没を迎えた。まだアタリはあったが、マキ餌が切れ、ウキが見えなくなったので納竿した。

 南島での経験がここで生かされた。見えている魚はやはり食うのである。彼らの真下に釣り糸を垂らせば、逃げてしまうが、少し近くにマキ餌で誘き出せば、彼らはそのにおいと濁りに狂奔し、思わずサシ餌を食ってしまうのだ。  

 魚はや見えていてこそ釣れるなれいないところで釣り糸垂れても意味はない
 

 ロープの交差点


 次の日は勤務だったので、帰り道に大清戸に寄ってみた。昨日の舟の下にチヌは一尾もいなくなっていた。たぶん私が全て釣ってしまったせいであろう。

 対岸を見ると今日は貝掃除しておらず、筏の上は静まりかえっていた。そういえば昨日もしていなかったような気がするから、貝掃除はひとまず終わったのかもしれない。

 私は対岸へ車を回した。愛車は10年以上乗り回しているボロシビックである。既にトランクからは水が漏り、あちこち傷だらけ埃だらけではあるが、小回りが利き、軽トラックしか通れないような狭い道でも苦にならない。それにしてもひどい道である。当然未舗装であちこちに雑木の枝が進入してきている。道幅も相当狭い。

 着いてみると二台ほど車を駐車できるスペースがあり、その前に釣座を取るのに丁度具合のよさそうな場所がある。そこに立ってみると、目の前が貝掃除場で舟が停泊していた。


 そこらへんにチヌはいないかと見回すが、濁っていて底は見えない。少し横を向き、車へ帰りかけると仰天した。

 
筏から岸にかけたロープの交差点の所に、50p級が二枚。40p級が数枚悠々と泳いでおり、30p級も姿が見え隠れしている。中でもひときわ目立って大きいやつは、口の周りが真っ白で物凄い顔つきをしている。
そこは岸から3m と離れておらず、ひどく浅かった。こんな浅場で、こんなに巨大なやつが白昼堂々と泳いでいるのである。


 やつらはロープの交差点を中心として、楕円を描きながらゆっくりと泳いでいた。私が真上から覗き込んでもまるで頓着する様子がない。

 
一番大きいやつ、クチジロはほかの個体より抜きんでていて、気味が悪いくらい口吻が発達し、目玉の
大きさもただごとではなかった。まるで妖怪である。おそらく相当の年齢であろう。目測60p近い。

 やつと目が合った。しかしすぐに目をそらし、相変わらず泳いでいる。私のことなど眼中にない様子である。
後にも先にもこのような巨大なチヌを、自然な状態で目撃したのは初めてであった。

  何を思ったか、私は突然車に戻り、急いで帰路についた。飛ぶように家に帰るとあたふたと釣り支度をして、40分後には再度ロープの交差点に現れた。時刻は既に六時を回っており、長い夏の日も流石に暮れかけていた。

 しかし相変わらずやつらはロープの交差点を中心として泳ぎ、クチジロも顕在である。
  先程釣座と決めたところに座り込み、撒き餌をして釣り始めた。
 すぐに日が暮れてしまい、辺りは闇に包まれた。電気ウキはそよとも動かず、夜に紀州釣りなど場違いである。やつらの姿はいても見えない。
 八時まで粘ってみたが、実に意味のないことをしたと思う。この様子では明日になったとしても、やつらはこの場所を動かないだろう。そう信じて帰ることにした。

釣行記 27に続く

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