小林(おはやし)裏


 奈屋浦で釣ったチヌはとてつもなく大きいものだったが、家の裏のカイヅはひどく小さいものだった。


 夕方日が暮れるまで、のべ竿で楽しんだ。アタリがしょっちゅうあるので、退屈せず、また小さくてもチヌの引きを楽しませてくれるので嬉しい。

 日没後、やたらよく引くのでセイゴかと思ったら、上がってきたのは23pのシラであった。シラが混じるのであれば、さらに釣趣は深い。二年前に上條裏で釣ったものは、煮付けにしても食えなかったが、これは塩焼きで充分味わえた。なぜだかわからないが、宮川は浄化されつつあるようである。水も美しいし、以前の清流が戻りつつあるようだ。

 家のすぐ近くでカイヅやシラが釣れて、しかもそれが食用になるのだからいうことはない。ただカイヅはそのたびに背開きにしてみりん干しにするのは面倒なので、ある程度数がたまるまで冷蔵庫の冷凍室に入れて保存した。


 佐渡氏に教えてやったら、すぐ飛んできて一緒に釣った。彼も伊勢在住なのでこの場所には手軽に来られる。

 いつぞや彼は両親を連れてきて一緒に釣っていた。成長した息子が、年老いた両親と共に釣りをしているのは、実に微笑ましい光景である。私の両親は釣りなどまるで興味がないので、少しうらやましくもあった。

 湯川氏もやってきて、カイヅの引きを楽しんでいた。彼は相当な型のシラを掛けて手元でバラしてしまった。釣座が低く、捨て石が足下に入っているし、仕掛けが竿の長さよりも長いので、リールのないのべ竿では取り込めないのである。だが、シラなどそうたびたび食いつくものでもなかったし、たいていは13pまでのカイヅであったのでリールなど不要だった。

 湯川氏は以前かなり釣りに凝っていたのか、多くの竿を持っていて、それらがまた使えると喜んでいた。彼はこの小林裏を気に入ったらしく、しょっちゅう来て一緒に釣った。彼は晩酌をこの上なく好み、釣ったカイヅをその日に開いてみりん干しにして、それで一杯呑むのがこたえられないと言っていた。どうも私より彼の方がこの釣りにハマってしまったようである。


 宮川の夕暮れは、海とはまた違った意味で風情があった。悠久なる川の流れはよどむことなく、滔々と流れた。様々な生命を育み、流域の作物の豊饒はこの川が源であるように感じた。
 

 
奈屋浦のイカダ 2
 

 私の釣果を聞いた中北氏が是非行きたいというので、また辻岡氏に無理を言って長友イカダに乗せてもらった。私自身も先日の興奮から今だ醒めず、さらにでかいのがあのイカダの下に潜んでいるような気がしていたのである。

 前回の釣行でボラがダンゴに慣れてしまったのか、今回はボラがやたら多く、うんざりするほど釣ってしまった。辻岡氏はカラスミを取るのだといって大ボラを好んで釣っていた。私は釣る気持ちは全くないのであるが、掛かってくるものは仕方がない。ボラの他にワラサまで数匹回遊してきていた。もっともこれは食いつかず、掛けたところで釣り上げることは不可能と思われた。1m近くあったのだから。

 中北氏の打ち返しは私よりもすばやく、しかもダンゴもやたら大きかった。それ故、その使用量は半端ではなく、私の倍以上にも達していた。この調子では私の所より、彼の竿下にチヌが行くのは必至であった。しかし、まあ、それもよかろう、といちいち彼に対抗してペースを上げずにいたら、事実その通りになった。

 今回はタモもきちんと用意し、掛け竿も新調しスケールまで持ってきていたのに、チヌを掛けたのは中北氏の方であった。

 上がってきたチヌは、少し妙だった。口吻と側面に腫れ物があって、明らかに何か病気にかかっていた。それでも52pあり、ここのチヌは釣れたら全て50pオーバーである。

 辻岡氏はボラ釣りに飽きたのか、昼寝をしていた。何となく彼に申し訳ないように思えた。わざわざ折角の休日に我々につき合わせて、すいませんねとことわると、いや私は海の上でこうしているのが好きなのだと答える。その様子があまりにも自然だったので、我々は以後も彼の好意に甘えることになった。全く辻岡氏様々である。
 

 小林裏 2
 

 シラを狙って小林裏で紀州釣りをすることにした。湯川氏のバラしたものは25pを越えていたように思われた。あれほどの型がまだ残っているとならば、ダンゴの威力で数釣れそうな気がしたからだ。

 九月半ばの休日、湯川氏と共に釣った。彼はのべ竿で紀州釣りなどしない。私は頑張ってダンゴを投げる。

 だが、やはり川の流れが災いして、ポイントが作れない。あっという間に仕掛けが流れていってしまい、ダンゴの煙幕の中に魚を釘付けに出来ないのである。


 結局、湯川氏の方が私よりに釣った数はるか上回り、紀州釣りはここでは意味をなさなかった。

 家から近いのをいいことにして、私は夜になってもここへ出かけた。釣れる数は昼間よりやや多く、型も少し大きいように思われた。シラは食ってこなかったし、代わりにセイゴの数が増え、やたらよく引くので閉口した。湯川氏も誘ったが、彼にとって夜は至福の晩酌の時間なので、出てこなかった。夜の方がここは人が多く、しかもだんだん増えつつあった。

 ハリは初めはチンタメバルの7号あたりを使用していたが、あまりにも小さいのが多く、ハリがかりしないので、流線型の「早がけ」という種類を使った。これは船からカイヅの引き釣りをするときに使うハリだそうで、親が捜しに来るような小さいカイヅでもよく乗った。

 シラは釣れないし、あまりにも型が小さいので、私は五十鈴川河口へ回っていった。だが、勢田川と合流するこの河口は水質が悪く、宮川とは比較にならなかった。ここでもカイヅは釣れていて、妙なことにほとんどの人が赤土ダンゴで紀州釣りをしていた。これは鳥羽地方の釣り方である。

 釣れている型も数も宮川のものと変わりなかった。それなら、宮川河口の方が、ずっといい。ダンゴはいらないし、水もきれいだ。おまけに家から近いのだから、わざわざこんな所まで来る必要もないと思った。

 しかし、私には不満だった。あまりにも型が小さすぎるからだ。それに当歳魚は釣らないと以前から決めていただけに、やはり気が引けた。奈屋浦へ行きたかった。巨チヌの潜むあのイカダへ。…
 

 
奈屋浦のイカダ 3
 

 佐渡氏と中北氏とでまた長友イカダへ辻岡氏に渡してもらった。湯川氏も行きたがっていたが、所用で来られなかった。

 以前渡ったときより、一ヶ月近く経っていたので、周囲は秋の海になっていた。

 チヌの気配はあまり感じられなかったが、私一人終始ダンゴを投げ続けた。だが、釣れるのはボラばかりで、たまにアヅキマスやシマイサキが食いつく程度だった。

 佐渡氏と中北氏は途中でサヨリ釣りに走った。というのはダンゴの周りにサヨリが多く群れだしたからである。ここのサヨリは英虞湾のものより大きく、30p近くあった。釣れないチヌを狙っているより、こちらの方がいいと鞍替えしたのであろう。 辻岡氏も、ボラ釣りを止めてこちらに参加した。サヨリ釣りは彼の方が上手で、途中から参加したにもかかわらず、彼が一番多くの数を釣り上げていたように思う。

 チヌはいないのか、あるいはいても私のエサには食いつかないのか、いっこうに魚信がないままその日は終わってしまった。 だが、来たら50pオーバーというのはやはり魅力であった。まだまだこの場所は諦めきれなかった。

 帰り、贄浦へ寄ったら、堤防の内側の所で二三歳を5枚上げていた。これくらいのをが食うのなら、ここもよかろうということになった。秋の荒食いシーズンは近い。


釣行記 34に続く
BACK