三歳魚 

 やがて初夏が到来し、大江では三歳魚がよく姿を見せた。昨年二歳魚が多かったせいだろう。当歳魚が多かった翌年は二歳魚が釣れ盛り、またその翌年は三歳魚が数を見せるのは道理である。だが、この場所の三歳魚は小さいものが多く、30pに満たなかった。数もあまり出ず、一日に2、3枚といったところであった。94号もそんなもので、以前のように大型は回ってこなくなっていた。

 ただ、このころになると船外機の小さいものを購入し、調子よくボートに装着して出航した。

この船外機、わずか2馬力のもので、ニュートラルの状態の機能がなく、微速にしてもスクリューは常に回転しているという不便なものであった。おまけに操縦にはどうしても舟尾に座らなければならないから、自分の体重で舟先が上がってしまい、すぐ側に他の船が来たりすると、その引きおこす波にひっくり返らないように方向転換を余儀なくされた。ボートが船外機を使用するには小さくて、軽すぎたためである。

 二人で乗れば、一人が舟先に乗ることでオモシになり、都合よかったのであるが、単独釣行の好きな私は、いちいち人を誘うのも億劫だった。そこで人間の代わりに荷物を舟先に乗せてなんとか解消した。なんともややこしいボートである。

 そうはいうものの、オールで漕ぐよりははるかに速く、しかも労力を必要としなかったのはいうまでもない。94号だけでなく、そこら中よき場所を求めて湾内を走り回ったが、残念ながら飼いつけするような場所には出会えなかった。

 奈屋浦では大江のものより型が良く、30pを超えるものがいい日で4、5枚釣れた。これらの引き味は実に素晴らしく、ファィトあふれる若武者といった感じである。二歳魚もそれらに混じって食ってきたが、大きいだけに引き味はまるで異質であった。重量感はないが実に鋭い突っ込みを底めがけて繰り返すのである。元気のいいことこの上なく、実に釣りごたえのある代物であった。

 このように30pから35pまでのものは、釣趣には富んでいるが、これをいざ食べるとなるといささか具合が悪い。というのは、20p台のものは姿のまま塩焼きか煮付けにできるが、このクラスのものになると、大きすぎてそんなわけにはいかない。そうかといって刺身にするには小さすぎる。造りにして盛りつけようとするならば、最低35p以上は必要であろう。

 いったいこの種の魚は、釣趣にはすこぶる富むものの、食味は最高とはいいがたい。マダイに比べると、どうしても劣るし、独特の磯臭さがある。マダイよりも生息地が沿岸性を帯び、釣行は容易で、近場でも大型が狙えるが、人間の住む近くにいるせいで雑食性が災いしてか、独特の臭気を発し、味となるとやはりマダイに一歩譲らざるを得ないようである。
 

 三歳魚となると、流石に昨年のように入れ食い状態になることはなく、ポツリポツリと釣れる程度であった。

 二歳までは警戒心もさほど強くなく、たとえバラしたところで後の釣果にさほど影響しないが、このクラスになるとそうもいかず、バラシの後は警戒してなかなかサシ餌に食いついてくれない。また群れも分散してゆき、大多数の群泳は見られないようである。さらにこれ以上の年齢になると、ますます陰険になり警戒心がはなはだ強く、群れも小さくなっていくようだ。

 世代交代
 
 九月になった。大江浜の向かいに島がある。その島の側の真珠小屋跡で釣れたという噂を耳にしたので、ボートで渡った。ここは94号よりも浜から近いが、島の影に隠れて浜からは見えない。

 水深はひどく浅く、満潮時でも1ヒロ弱しかなかった。

 朝のうちは当歳魚(10p〜15p)が生きエビに入れ食いになり、正午すぎには二歳魚 (25p〜28p)が5枚、立て続けにミノムシに食い付いてきた。さらに午後からは三歳魚(35p〜38p)がポツポツ3枚上が
った。

 ここを「島影」と命名し、その後も少し通ったが、この日のように三世代の釣果を見たのは最初で最後であった。このように、初めに小型の群れが回遊し、漸次その型が大きくなっていくこともあるようである。

 贄浦でも、昨年あれほど二歳魚が乱舞したにもかかわらず、晩秋になるとほとんど数を見なくなった。十一月を過ぎる頃になると目当ての三歳魚も釣れなくなり、海水が澄んでいても、視認できるクロダイはごく少数でしかなかった。

 二歳魚の多い年は豊漁を見るが、翌年はそうもいかないようである。型は大きくなっても数は出ない。また落ちに入る時期も年齢と共に早くなり、一定の場所に居すわることも年齢が高くなるほど少数になるようだ。

 さらに北風が吹くようになると、アタリがほとんど確認できず、仕掛けを上げたときに食い付いている、といったことが見られた。いわゆる「居食い」であるが、大型や中小型でも食いの悪いときや、動きが不活発なときは、よくこのような就餌をする。
釣行記 11に続く