師匠のI氏
 
 鳥羽の佐田浜で、他の人にカイヅが釣れて私に釣れなかったわけが解った。ウキ下が浅すぎたのである。クロダイは主に底近くで餌を食う。それなのに底からはるか離れたところで、餌を宙ぶらりんにしていたのでは目当ての魚まで餌は届かない。他の人は底近くでダンゴを割っていたのに対し、私は中層で割っていた。だからあの時は釣れなかったのだ。
 
 大江ではダンゴはほとんど底に着けるようにした。潮の流れが緩やかな内湾なので、自然に割れるように調整した。後から考えてみると、これは紀州釣りの基本ではなかったのだろうか。
 基本通りにやっていたのだから、釣行のたびにある程度の釣果はあげることができた。ある時、餌のミノムシが切れたので、そこらへんを這いまわっているイソガニをつけて投入したら一発でウキ入れし、少し型のいいのが掛かった。カニでやると型がよかった。また、ここは佐田浜のように釣り人が多くなく、五人も入ると釣り場はいっぱいだったので、隣とのお祭りを気にすることなく、のんびりと釣ることができた。
 
I氏の好んでいたポイント

ここを訪れる人は大体決まっていて、何回か通ううちに顔見知りになった。そのうち会話が生まれ、親交が芽生えた。話題は釣りのことばかりだったが、人間関係の始まりはやはり話題の共通点なのだろう。
 
その中に、I氏という人がいた。彼は伊勢の商店街で子供服を商っている初老の人で、クロダイ釣り歴四十年のベテランだった。さすがに腕が良く、私が6枚釣れば彼は10枚釣り、他の人がボウズの時でも彼は何枚かの釣果を得ていた。
 
腕だけでなく、伊勢志摩紀東の釣り場にも精通していて、どの時期にどこへ行けば釣れるといった情報を彼から聞き出すことができた。特筆すべきは、彼はクロダイを専門に狙い、他の釣りはまったくしないということであった。
 
I氏の論を聞くと、やれグレだイシダイなどとあれこれといろいろな魚を追いかけるから、散漫になって腕が上達しない。魚種が違えば、釣り方も違う。いちいち覚えようとするから、みんな釣れない釣れないと嘆いている。クロダイ一本に絞れば、他の魚の分だけ早く上達する。クロダイは釣趣に優れ食味もよく、人間の住む近くに生息しているから、危険な磯に渡ることもなく、比較的安全な堤防や地磯で釣ることができる。というものだった。
 
彼の論はシラを求めてやまなかった私を十分納得させるものだった。いつのまにか、私は内心彼を師匠と仰ぐようになった。それほど彼は達人に見えた。

 I氏は話好きで陽気な人だった。普通なら、秘密のポイントがあると、他人にはなかなか明かさないものだが、彼はおしげもなくいつも披露してくれた。好人物のせいもあるだろうが、どこへ行っても釣り負けない自信があったからなのだろう。
 
I氏と知り合ってから、十年以上になる。いまだに年賀状のやり取りはしているが、もう五年は会っていない。元気でおられることとは思うが、相当の高齢になられただろうと思う。


 方座浦の敗因
 
 ある時、I氏の釣友であるM氏と大江で一緒に釣った。M氏はI氏を媒介として釣りを覚えた人で、いわば直弟子である。しかし、その日は二人ともまるで魚信がなく、昼になっても太陽が高く上るばかりであった。
 
M氏は釣り場を代わると言い出した。方座浦へ行くというのである。君も一緒に行くかねと言うので、二つ返事で承諾した。今まで、I氏からいろいろ他の釣り場のことは聞いてはいたものの、実際行ってみたことはなかったので、いい機会だと思ったのだ。
 
方座浦は南島町でもかなり奥に入ったところで、大江から車で三十分はかかる。だが、クロダイの魚影は濃く、厳寒期の二月に年なしの大チヌが出る所だ。方座浦の奥にはかかり釣りで有名な古和浦があり、またその奥には、原子力発電所建設予定地である芦浜がある。
 
古和浦から錦へ行く峠の入り口にさしかかると新桑(サラクワ)というところがある。ここは水深がなく、春の乗っこみチヌの穴場だが、とてつもなく大きいトド(ボラの成長したもの。「とどのつまり」の語源らしい。)が生息するところである。私は実際そのトドを目撃したことがある。そいつらは5、6尾位の群れで、50pくらいの浅瀬で悠然と水の上にのたっていた。
 
大きさは1mほどに見えた。そんなやつが、人家のすぐ近くの浅瀬で悠々と泳いでいるのだから、よほど人の来ないところであるのがわかるだろう。いつぞや、この新桑でのんびりと乗っこみの大型を求めていたら、なんだかタイムスリップして太古の昔に来てしまったような錯覚にとらわれた。潮は緩やかでほとんど動かない。鳥の声がやたら大きく、自然の息吹はすぐそこに聞こえる。辺りは静寂で、人の気配はせず、車もめったに通らない。観光客の足もここまでは届かず、実にひなびたところである。
 
芦浜はここよりさらに奥に入ったところであると先程述べたが、車の通れる道はなく、わずかな地道で通じているのみの所である。新桑でさえこんなだから、芦浜がどんなところであるか想像がつくだろう。まさに前人未到の感さえある

芦浜 芦浜のHPへ
 
その芦浜へ原子力発電所が建設されようとしている。どうも原発というものは、こういう全く人気のないようなところへ、建設されることが多いようだ。なぜそうなのか考えたくもないが、実に馬鹿馬鹿しいことである。いつぞや、広瀬隆氏が、「東京に原発を」という本を出していたが、その気持ちが分かるような気がする。

人気がないから、汚染されてもいいという発想は、実に危険なものである。人間の心に悪魔が住みついたようなもので、環境のみならず、生命そのものを脅かす愚行としかいいようがない。

なんでも、電力会社の幹部は原発問題に関して、「生命だけが大切なのではない」という発言をしたらしいが、ただあきれるばかりである。
 
話が横道にそれてしまった。M氏と私は方座浦に着き、隣同志で釣座を構えた。以前船着き場のようなものがあったところで、目の前にイカダがある。釣座からイカダまでは10mとなく、イカダの前にダンゴを投入した。
 
やがてM氏には手のひらクラスのシラが掛かった。1枚あげたと思ったら、次々と掛かり始めた。まさに「入れ食い」である。ところが私には1枚も釣れない。もともとポイントは狭いので、二人のウキは1mも離れていないのである。M氏は気の毒がって、もっと近くに放り込めと言ってはくれるのだが、どのようにしても私には魚信はなかった。
 
結局その日は用事があったので、私はその釣り場を後にした。M氏は私が立ち去るときも相変わらず、入れ食いを演じ続けていた。その後彼が何枚上げたのかは知らない。
 
後にも先にもこんなに悔しい思いをしたのは初めてだった。
 
あまりに悔やまれるので、用事を終えてから再度その日の夜に同じ所へ行った。辺り
にはだれもおらず、ただ薄気味悪いばかりで、魚は1匹も釣れなかった。ばかばかしくなって早々に退散した。

一日のうちに同じ釣り場へ二度も通うとは、自分でも呆れた。もともと可能性は低いとあきらめてはいたのだが、よほど昼間のM氏の入れ食い状態が羨ましかったのだろうと思う。

 後から考えたが、ポイントが1mと離れていないのに、M氏に釣れて私に釣れなかったのはなぜだろう。たぶん、彼のポイントと私のそれとの深さの差ではなかったのだろうか。彼のほうが私より深いところで釣っていたのだ。

つまり、海底の起伏の差で、たとえ1mと離れていなくても、海底は変化に富んでいるから、当然浅いところより深いところのほうが、撒き餌がたまりやすい。そこがカケアガリだったとすれば、なおさら魚はより深いところで撒き餌を拾う。シラの群れは私より深いM氏のウキの下におり、浅い私のウキの下にはいなかった。それだけのことだったようだ。
 
それにもう一つは、ダンゴの投入回数の差である。M氏は釣れるから放り込む。また釣れるからまた放り込むで一定のリズムが生まれ、撒き餌は絶え間ない。絶え間ないからM氏の投入点にのみ魚は寄る。私は釣れないからリズムができず、ダンゴの投入回数も少なくなる。だから釣れなかったのだ。

 紀州釣りの釣果の差はどこで出るか。それはまず場所である。その次はダンゴの投入回数、すなわち「打ち返し」である。釣れても釣れなくても、より多くの打ち返しをした方が好釣果につながる。いかに自分のポイントを作り、いかに寄せるかだ。
  釣行記 4に続く