N君の苦悩
 
 中旬の日曜日はゆっくりと休養した。前日まで遠方に出張があって疲れたためである。 だが、夕方になると身体の中の釣りの虫が騒ぎだし、浅浜へ様子を見にいった。

 着いたら、N君がいる。この間の私の釣果をさんざん吹聴してあったので、いてもたってもおられず、来てしまっていたのだろう。

 「どう、釣れた。」
 「いやあ、駄目ですよ。アタリはあるんですけどね。」

 他に釣人は二、三人いたが、ポツポツ釣れているといった感じだ。N君はやたら近くにポイントを作っていた。まさに竿下である。それでも悪くはないが、せめてもう少し遠くに放り込んではどうかとアドバイスする。それにダンゴが柔らかすぎて割れが遅いようなので、もっと堅くして早く割れるようにせよともつけ加えた。N君はまだ紀州釣りを始めてまもない。

 この釣りを二十年もしていると、偉そうに人に講釈をたれたりするようになってよくないのだが、彼は果たしてその通りに実行した。するとすぐに銀鱗が跳ね、きれいなカイヅが顔を見せた。

 「すごい、本当に釣れましたよ。」

 彼はまだ私の言う通りになったのが半信半疑である。
 その後も彼の様子を見ているとアタリは鮮明に出るが、ハリ掛りしない。

 「ハリは何号だい。」
 「チヌ1号ですけど。」
 「そんなもん、小さすぎるよ。もっと大きくしたら。」
 「これ以上大きいのは持っていないんですよ。」

 私は彼のタックルボックスの中をごそごそと探し出した。
 「あるじゃないか。これに交換した方がいいよ。」
 「え!丸セイゴバリじゃないですか。こんなハリに掛かるんですか。」
 「ものは試しだからやってみた方がいいよ。

 彼はブツブツ言いながらも、丸セイゴバリを結んで投入した。さっきのこともあってか、割合と素直である。

 またしても、アタリはウキを消し込んでいく、先程はハリ掛りしなかったものが、今度は見事に竿が曲り、銀鱗が踊った。彼は驚き、かつ喜んでいる。チヌバリの意味がないともぼやくけれども、釣れたのは事実である。しかし、釣れた理由は分からないようだ。

 このときの丸セイゴバリは、チヌバリにすれば5号の大きさがあったろう。1号のサイズでは小さ過ぎて、口の中に入ってもスッポヌケてしまうのである。つまり合わせたときに餌だけが口内に残り、ハリはそのまますりぬけてしまうのだ。こんなときはハリのサイズを大きくしてやればその分だけ口内に摩擦を生じる確率が高くなり、掛かる可能性がぐんと増す。

 N君はチヌ釣りだからと、チヌバリにこだわっていたが、このようなときはハリの銘柄など関係ない。魚はどんなハリにでも食いつくのである。食いの立つときは、ハリは大きい方がいいだけの話だ。

 私はチヌ6号で20pのシラを釣ったことがある。ハリは魚の口に入りさえすれば、どんな大きさでも構わない。魚の大小でハリの大きさを選ぶのではない。食いが良いか悪いかで選ぶのである。

 エビを尻尾から刺すと頭だけ取られるというので、じゃ頭から刺したまえといったら、果たしてこれもその通りになり、ただ驚き呆れていた。チヌはエビを尻から食べたり、頭から食べたりまちまちだが、このときは頭から食う傾向にあったのだろう。それだけのことだ。

 N君はなぜ釣れるのか分からないままも、私の去った後も釣り続けたことだろう。そしてその釣れた原因の分からぬ苦悩が、いつまで続いたかはさだかではない。

 
 安乗(アノリ)の北西風
 

 土曜日の午後、N君と事務長と私の三人で、車を三台連ねて浅浜へ行った。ところが工事中で立入禁止の立札がある。あの現場監督めといまいましかったが、三人も釣らせてくれと言うのもしゃくに触るので、またしても車を三台連ねて今度は安乗へ向かった。

 安乗は甲賀の北にあり、阿児町の最北端に位置し、的矢湾に面している。安乗崎灯台の展望台からの眺めは風光明媚で知られたところだ。

 この安乗漁港に二年前に堤防が増設され、その内側の新しい護岸が今回の釣り場である。

 浅浜はこの頃工事をしていることが多かったので、一度ここで試し釣りをしてみたら、浅浜と同様の型が8枚と1枚だけ少し型のいいのがきた。ただ、アタリが鮮明でなく、全く初心者の事務長には不向きだと思われたが、入門者向けの浅浜が立入禁止では仕方がない。

 伊勢在住の事務長はN君からいろいろ吹き込まれたようで、勤務中でも釣具の手入れに余念がない。職場から釣り場へ直行である。ただ着替えは持ってきたものの、靴までは気が回らなかったようで、ジャージに革靴という不釣合なスタイルである。

 彼は釣りは初めてなので、私にいろいろ教えてほしいと言ったが、全て指導はN君に任せて放ったらかしにした。実に無愛想なものである。

 この場所は今の時期は北西風の強いところで、波が高く、穏やかな日は少なかった。その日は特に波が高く、いつもの孔雀の羽根製の棒ウキでは波に見え隠れしてアタリが分からない。

 そこで私はそのことを察するやいなや、硬質発砲製の真っ赤な玉ウキに交換した。玉ウキはこんな日には波によく乗り、アタリは確認しやすい。ただ、浮力があるので、魚が食い込む際にかなりの抵抗を感じ、食い気がないときは少し不安がある。先日もアタリが鮮明でなかったため、気になったが、結果として杞憂に終わった。

 というのは底を20pも切り、ダンゴが割れてウキが浮いてくると、前アタリの後すぐに消し込んでいくのである。実に気分のよいアタリであった。夕方近く、ダンゴが割れたはずなのにウキが浮いてこない。よく見ると海面下10pほどで漂っている。不思議に思って合わせてみると、これが26pであった。

 このように安乗はいつも1枚だけ少し型のいいものが混じった。この日は15〜20pが15枚とこの1枚の釣果であった。N君は小型3枚、事務長は気の毒ながら坊主に終わった。N君でさえアタリがわからないと嘆いていたくらいだから、初心者の事務長には日が悪かったようである。事務長の名誉のためにつけ加えるが、他にも釣人がいたが全員坊主で、釣ったのはN君と私だけだったのである。

釣行記 16に続く