爆釣の理由
 


 同僚たちは中北氏を初めとして、めまぐるしい釣果をあげていた。それは私が二十年以上かけて築きあげたものを、たった一日で凌駕してしまうほどの勢いであった。


 佐渡氏たちのスズキはさておき、同じチヌ釣り師として中北氏の今年の釣果は注目すべきものがあった。紀州釣りを初めて間もない彼がこんないい目をするのは何故だろうか。以前初心者のT氏が神明堤防で小型の数釣りをしたことは先に書いた。しかし、小型ならまだしも、大型の数釣りである。私には不思議であった。

 大体において多くの釣り師が50p級を夢見て、わざわざ遠方から訪れ、ボウズで帰ることが多いというのに、あまりにも彼は恵まれすぎている。おまけに一カ月あまりの間に、大型を20枚以上釣るという話は、今までに聞いたことがない。その原因は何なのだろう。

 私はその一つはポイントにあると判断した

 志摩町御座は志摩半島の先端に位置し、対岸に浜島を臨み英虞湾の入り口であり、潮通しはすこぶるよい。中北氏の通う堤防は新しくはないものの、周りに無数の沈み磯があり適度な水深は大チヌの住みかを育んできたようだ。

 ここで釣りをする者は地元の子供か、または釣りに来た観光客がコッパグレを釣るのみで、今まで紀州釣りをする人はいなかったそうである。

 恐らく多くのチヌがここに住み付いていたのだが、ここに訪れる釣り師は磯に渡ったり、最近出来た海の釣り堀に行く人が多く、最も手近なこの堤防を見向きもしなかったようだ。


 その堤防に中北氏は釣り口を立てた。ちょうど三年前に私が神明堤防を開拓したように、彼は知らず知らずか、あるいは計画してかここのポイントを見いだしたのである。

 彼のほかにチヌ釣りをする人はいなかったという点も見逃すことができない。この堤防はいわば志摩半島の行きどまりで、船からしかこの場所は見えないし、一般には目立たないのである。だが魚影はすこぶる濃かった。温存されていたポイントが中北氏によって見つけられたのだろう。

                                        

中北氏自己最長寸54.5cmと共に

SFC釣り大会


 さて、中北氏を中心とする職場の総勢八人でこの御座の堤防に行くことになった。大変な多集団である。紀州釣りを初めてする人がほとんどで、世話係の中北氏は、ダンゴの原料のヌカの調達や、エサの用意、果ては道具に至るまで大童であった。

 私も楽しみにしていた。秋の落ちの荒食いシーズンでもあったし、中北氏から聞いた釣果からも大いに期待していた。


 ところがその三日前に私の親戚に不幸があり、釣行日が葬式の日と重なってしまったのである。まさか告別式を放り出して釣りにいくわけにも行くまい。私は諦めざるを得なかった。


 完全に諦めていた釣行であったが、幸か不幸か告別式は予想していたより早く終わった。故人には申し訳ないが、私にムラムラと釣りに行きたいという気持ちが起こり始めた。


佐渡氏51cmを釣る
 そこでとりあえず山上氏の携帯電話に連絡をとると、佐渡氏が51p、自分は49pを釣ったといとも当然のように言う。時刻は既に午後二時を回っていたと思う。

 私は我が耳を疑った。佐渡氏にはやられたという感じで、納得せざるを得なかったが、何故山上氏に大型のチヌが釣れるのだ。第一49pといえば私の今までの最長寸ではないか。

 というのは彼は南島町在住で、釣りにはなじみはあるものの、紀州釣りは初めてであり、ダンゴの握り方も知らないはずだからだ。

 何で山上氏に釣れるのだ。私は半信半疑で御座へ車を飛ばした。


 山上氏とは十年前、職場が南島だった頃からのつき合いである。彼は
ソフトボールの専門家であり、それを後進に伝えていくことをライフワークとしていた。実に指導熱心な人で、彼にはほとんど休日というものがなかった。だから、釣りには興味があったものの、行く機会が極めて少なかったのである。

 彼の特技は場所を選ばず睡眠をとれることだった。寝付きの良いことといったら尋常ではなく、少し会話がとぎれたと思ったらもう鼾をかいている。そのくせ他人の会話はちゃんと聞こえていて、誰かが寝ている彼の悪口でもいおうものなら、突然目を開けて上目づかいに言った当人を睨むのである。


 彼は呑んだ際、カラオケの十八番は「野風僧」だった。あまり歌うことは好まないようだが、彼のこの歌はひどく情感がこもっていた。恐らくこの歌は彼の性格そのものなのだろうと、私は常々思っている。
 山上氏について書くことは他にも沢山あるが、この文章は彼の人物評ではないのでここで暫く置くことにする。


 さて、電話での彼の話を眉唾物に感じながら私の車は御座に着いた。

 堤防には大勢の同僚達が揃って竿を振っていた。スカリには佐渡氏と山上氏の釣った見事なチヌがその堂々たる姿を見せている。やはり本当だったのだ。

 山上氏は6mもの長竿を使用していた。スーパで買ってきた安物らしい。堤防で使うには長すぎるが、彼にとってはそんなことは問題でなかったらしい。ただ釣り始めるやいなや、自分の尻で踏んでその竿の手元を砕いてしまい、結局丁度良い長さになったという。

 彼はその折れた竿で49pを釣ったらしい。恐らく彼にとって竿が折れていようが、まともであろうがそんなことはどうでもいいのであろう。それにしても初めて紀州釣りをする割には、手返しがいいし、投げ方も的確である。考えてみれば彼はソフトボールの専門家なのだから、ダンゴを投げるなど朝飯前なのだろう。ピッチャーの彼にとってバッターはチヌであった。投げたボールならぬダンゴは49p だけでなく、28pまでも仕留めていた。

 同じ初心者の井下氏と山出氏はいかにも初めてという感じだったが、山上氏が釣ったのはソフトボールの賜物だろう。

 佐渡氏が51pを食わせたポイントを私に譲ってくれる。有り難く彼の好意を受け、私はそこで釣り始めた。時刻は既に四時近く、釣っていられる時間はもうわずかしかない。必死でダンゴを打ち返し、漁信を待ったが上がってくるのは外道ばかりである。

 中北氏は初心者が多いので、この日はまるで釣りにならず、同僚の世話ばかりしていた。もっとも彼の場合今までさんざんこの場所でいい目をしたのだから、今日ぐらいは他の人に釣ってもらいたいと言っていた。

 しかし、その他の人はあくまでも私ではなかった。かなり離れた堤防の端で釣っていた三沖君の竿が大きく曲がっている。彼もルアーは得意でも紀州釣りは初めてである。というよりも、彼はダンゴは面倒だと感じたのか、エサのコーンを三つつけて流していただけらしい。

 何で三沖君に釣れるのだ。しかもそんな出鱈目な釣り方で。

 しかし、上がってきたのは42pの美しいチヌだった。三沖君は小躍りして喜んでいる。

 私は半ば焦りを覚えながら、その後も必死でダンゴを投げ続けたが、空しく夕暮れを迎えてしまった。

 かくて、職場の釣り大会は終わった。私に残された仕事は彼らの釣ったチヌをシメることだけであった。やはり告別式の日に釣りに行ったのが祟ったのだろうか。…

 悔しかったので、次の日に休みを取ってまた同じ場所に行った。しかし、向かい風がやたら強く吹き荒れ、波が荒く仕掛けがすぐ手前に流れてきてしまう。それでも三時間ぐらいがんばり続けたが、チヌはもういないのか、全くその気配さえなかった。

 このようにして、この年は暮れてしまった。私にとって地団駄を踏みたくなるような、ひどいシーズンであったことは言うまでもない。

 それに引き替え、中北氏を初め、佐渡氏、山上氏、三沖君にとっては何と幸運なことだったのだろう。恐らくこのような年はもう二度とあるまい。このように大型ばかり爆釣することや、初めての者にいとも簡単に釣れてしまったら、チヌという魚に値打ちがなくなってしまう。それに私の二十年以上の紀州釣り歴の意味がない。

 しかし、事情があって早く帰らざるを得なかった湯川氏は、この釣果を知ってその後釣りにハマってしまうし、山上氏は今だにチヌなど簡単に釣れるものだと思いこんでいる。…

釣行記 31に続く

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