その赤潮もようやく去り、奈屋浦に活気が戻ってきた頃のことである。

 七月下旬の大潮の土曜日、午後から18pから24pまでのシラが18枚食ってきたのである。その日は餌のミノムシが切れてしまい、やむなく納竿せざるを得なかった。三時間の間にこれだけの釣果であるから、ほとんど入れ食い状態であった。
 
予想もしない好釣果に気をよくして、次の日曜日は朝十時から釣行した。堤防に着いたら近所のT君が既に座っていた。

 彼は紀州釣りは初めてだというので、あれこれとコーチすることになった。彼の竿はやたら太い磯竿で、手持ちのウキは何と電気ウキだった。両方ともシラ釣りにふさわしいとはいいがたく、特に昼間に電気ウキとは間の抜けた話だが、そのような道具しか持っていないのだから仕方がない。
 
ウキ下を水深と同じにとり、着底と同時にウキが立つような調整を彼にも命じ、あとは私の真似をしていればよいと、いい加減な指示を与えてから釣り始めた。
 
一旦釣りを開始したら、他人のことなど構っている暇などないのである。釣りに行くのは自分が釣るためで、他人に教えるために行くのではない。だが、T君が自分はずぶの素人だから是非教えてほしいというので、基本的なことを示したに過ぎない。

 やがて私のウキにアタリが出て勢いよく引き込まれ、シラが次々と掛かりはじめた。まるで昨日の再現である。これは今日も調子がいいわいと喜んでT君の方を見ると、何と彼にも同じ様にシラが食いついているのである。

 電気ウキでアタリは判ったのかと聞くと、彼は、「わからないけれども、ただ上げたら食っていた」と答える。
 
その後も彼は同じような調子で次々とシラを上げ、そのペースは私とまるで同じであった。二人とも同じウキ下で、ダンゴの投入のリズムも実に似通っていた。とにかくほとんど入れ食いである。昼前には、私の持参したミノムシが切れてしまいそうになった。

 T君はゴカイで釣っていた。シラを釣るのにゴカイとは、キス釣りでもあるまいし随分シラをなめた話だが、食いはミノムシと変わりない。

 T君はまったくエサを切らしてしまい、今から買いに行くと言い出した。ゴカイならすぐ近くに地堀りのものを売っている店があるのである。私の分も依頼した後、彼は飛ぶように一旦去った。

 T君の戻った後もゴカイのエサで、同じ様にシラは釣れ続いた。夕方近くになるとそのゴカイも二人ともなくなってしまい、今度は私が買いに行こうかと言っていたら、近くにいた人が帰りがけに残ったアケミ貝をくれた。その人には1枚も釣れず、私たちばかり釣るので、ばかばかしくなったようである。普通ならいまいましくて残ったエサなどくれないものだが、実にいい人であった。

 もらったアケミ貝でも同じ様に釣れた。二人とも笑いが止まらない。

 結局暗くなるまでに私が36枚、T君は初めての紀州釣りで何と31枚も上げた。

 T君はアタリがあろうがなかろうが、とにかく私の釣るリズムを見ていて、同じ様に打ち返していた。まったく同じペースで釣っていたと言ってよい。

 そんな具合だから、私たちの所ばかりに魚は寄り、他に五、六人いた釣人には誰一人として1枚も釣れなかった。アケミ貝をくれた人もその一人である。

 私は同じサイズのシラばかり釣れ続くので少し飽き、ツエを狙って遠くにダンゴを投入してみたこともあったが、逆にアタリは遠のいた。

 最近はやたら遠くにポイントを作りたがる人がいるが、そんなことをすれば魚を遠くに追いやって拡散させてしまうだけだ。近くで食ううちは近くにポイントを作るに限る。いたずらに遠投して余分に労力を使う必要はない。


 釣果の36枚の内訳は、黒いものもいれば、白いものもおり、縞のあるものないものなど実に様々であった。なかにはスレで掛かってきたものもあり、ウロコに傷がついて血の滲んでいるものもあった。

 恐らくは百枚近くあるいはそれを超える数のシラがいて、次々と投入されるダンゴの煙幕と匂いに狂奔し、上になり下になり餌の奪い合いをしたので、スレで掛かったり、同族の鋭いヒレで傷ができたのであろう。

 このように食いの立つときは、餌も道具も腕もまるで関係がない。どんな餌であろうが、彼らは全て口にした。T君の電気ウキは昼間でも役目を果たしたとは言い難いが、彼はほとんどの獲物にハリを飲み込ませて確実に釣り上げていた。初心者であろうが打ち返しさえしておれば間違いなく釣れることの証明である。
奈屋浦赤灯提(2001年)

 私はハリスを2号、T君は1号を使っていたがこれも違いがなかった。私は大型が回ってくる可能性を感じたのでそれに対応するため、またT君は細い方がいいと聞いていたのでと言っていた。

 納竿してスカリを上げるとひどく重かった。T君のクーラーも満杯だった。彼もその日は快い眠りに就いたことだろう。私も眠る前に、ウキが水没していく様子が、何度も瞼にちらついていた。まさに大釣りであった。
 
奈屋浦には以後も釣行したが、流石にこんなことは二度となかった。ただ時折40p級が食ってくるのが釣行を楽しみにさせていた。

 この年は例年になく二歳が多かったようである。I氏も早期からかなりの数を上げていたし、各地でも数釣りのうわさをよく耳にした。
 
 今浦のカイヅ
 

 十月も下旬になるとめっきりと釣れる数が減ってきた。大江も奈屋浦も釣れなくなった。94号にもボートで渡ってみたが、この場所は浅いので干潮時に釣れたためしはなかった。潮の満ちている時にしか釣れないというのは不便なものである。それではと、満潮時にも行ったがやはり駄目だった。

 私の釣果は今年だけで既に百五十枚に達していた。これ以上釣る必要はないかもしれないが、狩猟本能はどこまでも尽きないものなのだろうか。

 南島はどこでもそんな風だったので、思い切って鳥羽方面へ向かうことにした。今浦で知り合いが民宿を経営しているので、そこの専用桟橋で釣らせてもらったのである。

 今浦のカイヅは佐田浜と同じくらいの型で10pから16pであった。当歳魚だけに流石に数は釣れたが、南島のシラやツエに慣れてしまった私には、何としても物足りなかった。

 あれほど佐田浜のカイヅが釣れず、釣っている人を羨望した以前の自分が嘘のようだった、そればかりか新子など釣って何になる、ミリン干しにするくらいじゃないか。大きくしてから釣るべきだ。などと豪語し、挙げ句の果てにはもうカイヅなど釣るまい、間違って釣れたら即リリースすべきだと釣友に気炎をあげたりするようになった。

当然ながら今浦のカイヅは釣った数に加えず、以後当歳魚は釣果にしないことにした

 今浦に行くのはもうよすことにした。


釣行記 8に続く