ある日の釣行記 その2
7月○日 快晴 大潮 満潮18時01分 干潮11時22分
神明。11時〜19時。23〜28p、30枚。が、スカリの破れた穴から10枚程、逃走した模様。実際は40枚ほど釣ったのかもしれない。ボラ3本、ウナギ1尾。
11時に釣り始め、いきなりアタリ。その後4時までほとんど入れ食い状態が続いた。
70歳くらいの老人が、マキ餌もせずに4枚釣り、昼から来たT氏も10枚上げた。
ハリはチヌ5号を使用したが、釣果のうち19枚は飲み込ませてしまった。それ程食いが立っていて、アタリのほとんどがウキを完全水没させた。餌はすべてアケミ貝。昨日S氏に貰ったミノムシには食わなかった。
ボラもかなり寄るようになってきた。しかしまだ本物の方が多く、ハリ掛りするものは少ない。
実に長い「ジアイ(魚のよく食う時間帯のこと)」であった。あまりにも食いが立ちっぱなしなので、途中でアホらしくなって、いい加減で止めようと考えながらも釣り続けていた。
最近はいつ来ても必ず釣れるので、夕方獲物を堤防まで取りに来てもらっている。シラは美味しい魚なので、約束しておくとみんな必ず夕方には現れる。先日はK氏が来て喜んで持ち帰り、今日はMさんが釣りたてのものを沢山抱えて帰った。いちいち配りに行かなくてもいいから面倒でない。
スカリから逃げたものは一体何枚いたのだろう。十年も使っているものなので所々、穴があいていた。折角釣ったものを普段なら悔しいところだが、今日はさほどそうも感じなかった。何度魚を入れても一向に数が増えていかないので、途中で気づいたのである。S氏はその様子を双眼鏡で見ていて、何故増えないのかと不思議に思っていたと、堤防に来たときに言っていた。さすがに破れた穴までは視認できなかったようだ。
T氏も昨日に続けての大釣りである。実に恵まれた人だ。チヌ釣りは難しい釣りだと聞いていたが、こんなに簡単に釣れるのですねと上機嫌であった。
S氏は今日もまた釣りのできない立場を、ことさら嘆いていた。
ボラ対策
八月に入ると、マキ餌のまわりにボラの魚影がかなりの数で見え始めた。私がこの釣り場を開拓してから、毎日のように釣り人がこの堤防に来て、ダンゴを放り込むので、ボラがマキ餌に付き始めたようである。もっとも、来る人はいつも決まっていて、顔見知りの人ばかりであった。大抵はS氏と、堤防の入り口に住む漁師のゆかりの人で、いちいち気を遣うことなく釣りができた。
T氏は一番の常連で、初めてチヌを釣った勢いで、それこそ毎日通い続けた。
いつぞや、私が堤防に見にいくと、T氏とS氏の連れがいて、S氏の連れはダンゴを遠くに放り込んで、釣れないと嘆いていた。私はここは遠くに投げても食いませんよ。近くの方がいいのですよと、彼にアドバイスすると、横からT氏が、
「この人は私の師匠だから言うことに間違いはありませんよ。それにここで最初に食わせたのはこの人ですから、この人の言うことは聞くべきです。」
などと言うものだから、閉口してしまった。しかし、T氏のこの発言のおかげで、その後彼は遠くにポイントを作ることをやめ、日を経た後も全員が近くに放り込むようになったことはありがたいことである。
さて、ボラであるが、日に日にその数は増えていった。しまいにはダンゴを投げると空中にあるうちから下から目で追い、水面に落ちるやいなや、ものすご勢いで群がり、底に着くまでに割ってしまうことが多くなってきた。
去年の夏に浅浜ではさんざんボラに悩まされた苦い経験から、この魚を避けて本物だけを釣り獲る方法を今年は本気で考えた。
その対策とは、まず第一にマキ餌を調合する際にチヌパワーを加え、粘りをもたせるようにして、ボラが群がっても、簡単に割れないダンゴを作ることであった。
このように調合したダンゴはいくらボラがつついても、着底するまでは無事である。というよりも、ボラがダンゴをつついたとき、底で割れるように調整するのだ。ボラにダンゴを割らせるのである。
だが、着底した後ダンゴが割れると、ボラはあっという間にサシ餌を吸い込んでしまう。この時のサシ餌はたとえどんなものを使ったところで同じである。エビであろうが堅いカニであろうが、まったく関係ない。彼らはダンゴと共にサシ餌も食ってしまう。マキ餌とサシ餌の見分けはつかないのだ。
このときウキは当然勢いよくスパッと消し込まれる。これで合わせては終日ボラである。よって第二にこのボラアタリを無視するのである。どんなにウキが水中深く没しても、決して合わせないのである。
放っておくと、やがてボラはサシ餌を吐き出し、ウキは再び浮いてくる。この後のアタリに集中するのだ。
サシ餌を吐き出した後もボラはマキ餌の濁りを辺りに撒き散らし、そこらにいるが再び食ってはこない。食ってくるのはシラである。最初はボラの勢いに押されているが、サシ餌が底で舞い始めた途端に前アタリを見せ、やがて本アタリとなり、めでたく釣り上がってくるのである。
今シーズンはこの方法で釣れるボラの数を極力押さえ、本物との出会いを増やすことができた。何にしても実践あるのみである。経験と考察、そして実践がまた経験を生み、釣果アップにつながる。
同僚の訪問
私が職場で、神明堤防での釣果を吹聴するものだから、同僚が揃って見物にきた。
H氏、TT氏、K氏の三人である。
H氏は堤防の近くに住んでいるので、子供を連れてやってきた。彼は子煩悩なマイホームパパだが、釣りの知識のほうは大変怪しかった。スピニングリールの扱い方をわが子にコーチしていたが、支度ができたと思いきや、ベールに糸が掛かっていなかった。
彼は一人でもよくやってきて、私の釣るのを見ていた。一度、魚が掛かったので、そのまま彼に竿を持たせてあげたことがある。彼は魚の引き味を楽しんでいたが、私は最後まで彼に竿を預けておくことをためらった。スピニングリールのことが頭に浮かんで不安を覚えたからである。
TT氏は以前は堤防の近くに住んでいたが、今は伊勢に住居を移していた。彼は釣り好きだったけれども、子供がまだ小さいので、思うように釣行できないのをいつも嘆いていた。彼は磯釣り、イカダ釣り、渓流釣りなど何でもこなし、水産生物の専門家でもあった。
彼は勤めの帰りによく堤防へ来た。私の釣るのを眺めながら、今度は紀州釣りをやってみようかしらなどとつぶやいていた。いつ竿を持って現れるかと楽しみにしていたが、とうとうそのことは実現せずじまいであった。
K氏も神明に住んでいた。大の魚好きで、彼にはよく獲物をもらっていただいた。彼はボラさえも好んで食べるほどの魚食いであった。豪放磊落な性格で、人の面倒見がよく、実に気持ちの良い人である。
彼は私が釣っているのを見て、自分も釣りたくなったのか、家にまで竿を取りに帰り、餌まで買いに行って、めでたくボラを釣り上げた。ボラの引きをことのほか楽しんでいた。息子と一緒に来ていたが、息子よりも彼のほうが楽しんでいたように思う。
中潮と大潮
盆前になっても神明堤防でのシラは釣れ続けた。特に大潮がよく、その直前の中潮の食いも突出していた。
八月の中旬にさしかかる頃には、私の釣果は百五十枚を越えていた。ツエの姿が一枚も見られないのが残念だったが、数に関しては申し分なかった。大体、一か所でこれ程長い間釣れ続くことなど、今までになかったことである。
大潮の直前の中潮の日に19枚あげた。この日は型がよく、大半が25pを越えていた。夕方になり、日没後もアタリは続き、ウキがほとんど見えなくなってからも釣れ続けた。
私のこの様子を堤防の根元の一か所に腰掛け、じっと見ていた人がいた。昨年、浅浜でよく見かけた人である。けれども実際釣りに来ることはなく、いつも見物だけだったので、このときもさほど気にとめなかったのである。かなりの年齢で、還暦に近いように思われた。彼のことを釣りに来ていた誰かが、先生と呼んでいたから、どこかの学校の教師なのだろう。
翌日は大潮だったから、今までの統計上さらに食いがいいことが間違いないので、納竿直前に来たT氏にそのことを言い伝えた。明日私は残念ながら勤務で来れないのである。彼は鼻息荒く、明日への抱負を語るのであった。
しかしT氏は翌日、予想もしなかった憂き目に会うことになる。
釣行記 20に続く