冬と春は
 

 あけて平成十一年、中北氏は冬はメバル・グレ等と様々な魚種と戯れ、寒さにもめげず三沖君と共に釣りを楽しんでいた。


 四月になると三沖君は四日市方面に転勤になり、太平洋から遠のいてしまった。彼のこちらでの二年間はさぞかし思い出深いものだっただろう。


 このころ、中北氏は御座の堤防での釣果よもう一度と、何度か通っていたようだが、そうは簡単に問屋は卸さない。御座を諦めると、今度は南勢町下津浦へ行きだした。


 ここは昔からのチヌ釣り場で、私も噂に聞いていた。春の乗っこみチヌを上げている常連もいるらしく、有望な場所であるようだ。

 私も一度見に行ったが、遠投人が多く幻滅してしまった。

 どうでもいいことだが、中北氏は実は密かに遠投人である。彼は巧みに遠投人の中に入り、遠くにポイントを作っていたが、今回はその努力も徒労に終わったようだ。


 それにしても、最近の釣りはオールシーズンになりつつある。様々な魚種を追う中北氏は初めからオフはないと思っているようだし、環境変化がもたらす高水温化により、チヌ釣りも終年の釣りとなっていきそうだ。

 そうはいうものの、私にとって冬と春はやはりオフシーズンであった。冬はエサ取りもいないし、ウキがピクリとも動かず、エサのオキアミがそのまま帰ってくるようなこの季節はやはり辛い。春も早いうちはまだ水温も低いし、魚が活性化していない。乗っこみチヌは魚体は大きいが、釣れるときと釣れないときの差がはなはだしすぎる。これを今までに釣っていたなら、私も考えを変えていただろうが、ろくな思い出がないので結局この時期は避けていた。
 


 下津浦
 

 水ぬるむ晩春、佐渡氏、山上氏、私とで下津浦に釣行した。中北氏は所用があったので途中からの参加となった。

 中北氏の伝えていた場所には人が沢山いたので、少し離れた場所を選び、三人でダンゴを投げた。

 しかし、特にアタリもなく、実に退屈な釣りとなった。釣れて当然と思いこんでいる山上氏はぶつぶつ文句を言っている。やはり人が多くても最初の場所で釣るべきだったというようなことを言っている。

 まあ、そんなに焦るなよ。これが普通のチヌ釣りなのだ。去年の君が幸運すぎたのだよ。と私がたしなめるが、あまり耳に届いていない様子である。

 しかし、それにしてもあまりにも変化に乏しかった。ばかばかしくなったので、こともあろうに私は遠投していた。遠投といってもそんなにたいした距離ではないのだが、佐渡氏は遠投人を非難していた私を知っているので、あきれてものが言えない。

 しかし、遠投してもやはり同じで、ボラが食ってきただけだった。

 そこへ、隠れ遠投人の中北氏が現れた。彼は初め遠投するのをためらっていたが、私が遠投しているのを見て、ここぞとばかり遠投した。周囲は遠投大会のようになりつつあった。別に投げる距離を競っていたわけではないが、実に意味のないことをしたと反省している。

 何故、人は遠投するのであろうか。近くで食わなかったら、遠くに投げたら魚がいて食いつくかも知れないと考えるのは釣り人の、自然な心理であろう。しかし、遠投してもそこに魚がいなかったら食うはずがないのであって、無意味な作業をしたと言わざるを得ない。

 当たり前のことを書いているようだが、この場合、遠投したとたんに魚が食いついたらどうだろう。その人は遠投を価値あるものと認め、その後も遠投を続けるはずである。このような遠投人はまだ許せる

 許せないのは、釣り雑誌等を読んで、魚は遠投しないと釣れないと思いこみ、初めから遠投する人達である。気の毒な彼らは近くで釣れることを知らないまま釣っているのだ。そして近くで釣った喜びを知っている人たちに多大な迷惑をかけているのである。

 つまらないことを書いた。結局この日は釣りにならず、夕方を待たずに全員納竿した。釣りなど簡単だと思っている山上氏は実に不満そうであった。
 

 
宮川のカイヅ
 


 夏になった。盆過ぎから余裕の出来た私は、夕方健康のために自転車で家の界隈をうろうろしだした。

 私の家は宮川河口の流域にあり、実にのどかな田園地帯で、少し自転車で走るとすぐ河口に出てしまう。

 自転車で散歩していると、車で走っているときと違い、周りの変化が余裕を持って眺められる。

 道ばたに咲いている草花にふと心がなごんだり、いつも犬の散歩をしている人と顔見知りになり、挨拶を交わしたりするようになるものだ。

 そんな中、私は驚くべき光景に出くわした。ある田圃の用水路に、無数のメダカを発見したのである。

 メダカなど少年時代は始終いたが、ここ二十年来見たことがなかった。農薬の使いすぎで死に絶えてしまったと思っていた。しかし、目の前にいるのはまるまると太ったメダカの群だった。また、その下にはこれも長い間お目にかかったことのないザリガニまでいたのである。

 私はザリガニの尻尾の所の身でウナギ釣りをした少年次代のことを思い出した。そういえば小ブナでセイゴ釣りもした。小ブナはいないかと捜したが、流石にこれはいなかった。

 農薬の使いすぎが自分の首を絞める結果となることを知った農家が、使用を控えだしたのだろう。私には嬉しい発見だった。

 すぐ近くの宮川河口も、昨年とは違った様相を呈していた。というのは、今ままで捨て石だけだった岸に、新しい護岸が形成されているのである。


 その護岸にある時私は一人の釣り人を見た。のべ竿を振ってなにやら釣っている。好奇心を起こした私は彼に尋ねかけていた。

 「何か釣れるんですか。」
 「いや、カイヅがね。」
 「へえ、いいじゃないですか。」
 「うん、今年は数が多いよ。岸近くに一杯泳いでいる。」

 そうこう言っているうちに、ウキにアタリがあり、彼は1枚釣り上げた。
 大きさは10pくらいであり、ひどく小さい。


 「このくらいのが、みりん干しにするのにちょうどいいんだ。これ以上大きくなると骨まで食べられない。」
 アタリは常にあり、見ていても楽しい。彼は私と談話しながらも、2枚追加した。

 エサは石ゴカイだという。


 彼は同じ区内の人であり、ここに家から車で一分で着くと言っていた。私なら二分かかるが、一分の差など問題でない。要はひどく近いということだ。

 宮川の水は二年前に上條裏で釣りをしたときと違い、ずいぶんときれいに見えた。底は見えるし、捨て石の周りにはカニやハゼなどの姿がうかがえる。

 どうも、用水路といい、宮川といい周辺環境が良くなったようだ。

 次の日の夕方、私は自転車での散歩を中止し、ゴカイとのべ竿を用意して、その場所にいた。

 竿は十年以上も前に買った小継ぎのハエ仕様を使った。長さは5m。道糸2号、ハリス0.8号である。ウキは5年前に自作した羽根製だ。

 エサの石ゴカイをつけて流していくと、まずハゼが釣り上がった。その後小気味よいアタリがあり、10p位のカイヅが食ってきた。

 頻繁にアタリがあるので、退屈しない。結局日暮れまでに13pまでのカイヅを3枚釣り上げ、釣り場を後にした。

 また来ようと思った。新子のカイヅは釣るまいと以前から考えていたが、みりん干しを作って食べたいと思った。それにエサはゴカイでいいし、ダンゴもいらないから手軽だ。何よりも家から近い所で楽しめるのが魅力だった。


釣行記 32に続く

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