晩秋の贄浦
 
十一月の初旬に贄浦堤防を訪れた。釣れるという情報を得たわけでもないし、必ず釣れるという確信を持ってのことでもない。南島がどこでも釣れなくなってしまい、わざわざ今浦まで釣行したぐらいだから、特に何ということもなしに寄ってみただけである。

 
贄浦は奈屋浦の一つ手前にある漁港で、二年ほど前に新しい堤防が完成していた。新築の堤防に魚が付くという説は信憑性が高く、このことは夏の奈屋浦が証明している。新しく作られたコンクリートの護岸やテトラには、新しいイガイやフジツボなどが付着し、これらを求めて魚たちが寄ってくるのであろう。そう考えてここでやってみようと思ったのである。

 しかしシーズンは既に終ったと思っていたので期待はしていなかった。いわば今までのシラの興奮のほとぼりがまだ醒めやらず、釣れ盛った過去を懐かしむような気持ちである。
 
この堤防の根元にには複数のテトラが入っていて前方に磯がある。

奈屋浦堤防とよく似た地形だが、テトラの数も多く、前方の磯の規模も大きい。この磯では昔はイシダイの魚影が濃かったところで、堤防の工事中に工事関係者が大型イシダイをよく釣っていたらしい。

 積み上げられたテトラの後方にはコンクリートの壁面があり、これが季節風を遮って吹き始めた木枯らしにも身体をさらすことなく、穏やかに釣ることができそうだった。

 このコンクリートの壁面の上に立って海底を見下ろすと、おびただしい数のシラが群れて遊んでいる姿に仰天した。海水の透明度はかなり高く、二歳魚ばかりではなく三歳魚の魚影も見え、また40p級も底のテトラの影に見え隠れしていた。

 以前かさらぎ池で少数の群れを確認したことはあったが、これ程多数のクロダイの群れを見たのは今までになかった。

 果たしてこれらが今の季節に食うだろうか、十月にどこでも食わなかったものが晩秋に活発に就餌するのだろうか。それに見えている魚は食わないというではないか。これらを釣り獲ることははなはだ怪しく思われた。

 たが、魚は間違いなくいる。今まではいるのかいないのかわからないものを、ただいるだろうと信じてマキ餌をして釣っていたのであるが、今度は外れはない。初めからいるのである。可能性はあるのだ。

 とにかくマキ餌作りにとりかかった。この日から私は赤土の使用をやめ、米ヌカを使うようになっていた。赤土は玉城町産がよく、家の前に2d車一杯購入して山を築いていたのだが、この二年間でことごとく使い果たし、使おうにもなかったからである。それに赤土は海底を荒らすと漁業関係者から聞いていたこともあり、そろそろ使用を差し控えようと考えていた矢先でもあった。

 米ヌカを6、サナギ粉を2、砂を2の割合でよく混ぜ合わせ、海水を加えて練りあげた。赤土の場合砂は入れる必要はないが、米ヌカは自重がないので沈めるためにはどうしても必要である。赤土と比べてヌカは粘りが少ない。どちらかといえばパサパサした感じに仕上げた。

 釣座はテトラの上である。堤防のように平坦でないので、そこらへんに落ちている板などを敷いて場を作り、完成したダンゴを二つ三つ放り込んでからタナ取りを開始した。

 紀州釣りではこのタナ取り(ウキ下を決めること)が非常に重要である。佐田浜で釣れなかった理由は、このタナ取りがが出来ていなかったせいであることは既に書いた。最も効率のよいのは底から10pである。つまり、この位置でダンゴが割れることが最もアタリもよく出るし、食いもいいのだ。最近は魚がスレてきたということで底を這わせる人も多いが、底を切って食うものならばそれにこしたことはないのである。

 この場所は底に無数のテトラが入っているので凹凸が激しく、一定したタナ取りが出来なかった。ある所はダンゴの重みでウキが完全に見えなくなるまで水没していき、少しでも離れた所ではダンゴがテトラの先端部分に乗ってしまい、ウキは寝たままであった。

 これでは釣りにならないので、大きく底を切ることにして、ダンゴを底に着くまでに割れるように調整した。つまり、ダンゴは着水後まもなく割れ、後は仕掛けが自然に流れるようにしたフカセ釣りである。

 そんなことをしてウキ下を上げ下げしているうちに、驚くべきことが起こった。

 何と、割れたダンゴのマキ餌の帯に小グレやシラが群がり出したのである。海水の透明度が高いので、ダンゴの割れるのが視認でき、上層に小グレ、下層にシラが群れて、盛んにマキ餌を食っている。また小グレの周りにはカワハギやネンブツダイなどが見える。

 まさに湧いているという感じである。すぐさまサシ餌のオキアミをハリに刺し、ダンゴに包んで投入した。ウキ下は約3ヒロ、今度はダンゴは底近くで割れてすぐウキが顔を出した。

 すぐにウキにアタリが出て、スーと沈んでいく。合わせると空振りである。たぶんエサ取りなのだろう。

 そんなことを繰り返していると、アタリの出るときは、マキ餌の帯の中に仕掛けがある間に限られている。仕掛けの下にあるサシ餌がマキ餌の帯の中から離れてしまうと、まったくアタリは出ないことに気がついた。魚はマキ餌の帯の中のみにいて、離れてしまった仕掛けの周りにはいないのが見えるのである。

 頻繁な打ち返しの必要性がここに証明された。ダンゴが割れた後、サシ餌がマキ餌から離れた後は、そのままウキを流していても意味はないのである。魚がいないところでサシ餌をいくら示しても釣れる道理はない。要はサシ餌がマキ餌の中にある時間を出来るだけ多く取ることが、魚にエサを食わせるチャンスを作り出すことになる。

 そのためには出来るだけ打ち返しを多くして、チャンスを増やすことが決め手となるわけだ。

 そう眼で見て納得した後、とにかく打ち返すことを多くし、サシ餌がマキ餌の中にある状態を作り出すことに専念した。やがてウキに前アタリが出てゆっくりと沈んでいく。トップは完全に海面下に消え、尚も引き込んでいこうとするところで、合わせた。

 竿先は絞り込まれ、上がってきたのは銀色の美しいシラである。晩秋の引きはかなり強い。

 その後もアタリは頻繁に出て、しかも絵に描いたように完全水没してさらに深く沈んで行く。竿を立てると海底深く潜り込もうと頭を振る様子が、手に伝わってきて、タモ入れしたのは縞模様鮮やかな30pを越すシラである。

 夕方納竿した時には、二桁近い釣果に大いに満足した。今浦で新子を釣っているより余程いい。こんなに遅い時期に、これだけ釣れるのはめずらしいことである。
 
                釣行記 9に続く