遠投とハリスの底這わせ
 
 Sセンターも九月下旬になるとツエは影をひそめ、シラだけになった。さらに十月半ばを過ぎるとシラも釣れなくなってしまった。そこで昨年のことを思い出し、安乗に釣行した。

 神明で八月下旬に当歳魚がハリに乗ってきたので、安乗でも同サイズのものが成長し、かなり大きくなっているだろうと期待していた。この地方のカイヅの成長の早いことは昨年の例にも明らかだ。

 ところが安乗に着いてみると、紀州釣りをする人がやたら多くいて、しかも揃って遠投している。昨年より釣人が倍増している。どうも一年前の情報が伝わっているらしい。人の噂も七十五日というが、七十五日経つうちに釣れるシーズンは終わってしまうので、噂を信じた人は翌年に持ち越したようである。

 仕方がないので私も遠投してみたが、ポイントは定まりにくいし、ウキは見にくいし、面倒なことこの上ない。さらに腹の立つことには釣れないのである。

 別に釣れないのは皆が遠投するせいだとは思えないが、近くで食うものを、わざわざ遠くに群れを追いやり拡散させて、ご苦労なことである。しかし、私だけ近くに投げても釣れるはずがないので、納得できないままも同じ様にダンゴを遠くに投げ続けた。

 そのうち釣れないので一人帰り、二人帰り、とうとうほとんどの人がいなくなってしまった。私の両脇にいた人は既にいないし、残っている人はかなり離れた場所にいる。

 そこで私は遠投をやめ、近くにポイントを作り始めた。すぐには効果は現れなかったが、一時間経つと1枚目が釣れ、夕方になるとほとんど入れ食いになった。

 サイズは神明と同じで全て二歳魚であり、20p前後の当歳魚はまるで釣れなかった。

 遠投など面倒なだけで、何の効果もないとあらためて感じた日だった。
 

 安乗ではいつ行っても遠投の人が多かった。彼らが釣果を得る日は、近くに投げても1枚も釣れなかった。ある人などは近くで食うのにと、皆の遠投を嘆いていた。

 またある遠投人は、他の遠投人より明らかに多くの釣果をあげていた。だれだろうと思ってよくよく見ると、昨年浅浜で底を這わせないと釣れないと主張していた人だった。

 釣れる場所で釣れる日に、誰よりも遠投し、しかもハリスを底に這わせれば、誰よりも釣れるのは当然である。何でもあまりに遠投するものだから、肉眼でウキが視認できず、双眼鏡を使ってアタリを見ている釣人がいるらしい。

 双眼鏡はS氏の得意とするところだが、彼はこの釣り方を試してみたところ、さすがに辛抱たまらないと言っていたらしい。望遠鏡を得意とするT氏から聞いた話である。

 私は遠投人や底這わせ人間が出現する原因は、最近の釣り雑誌にあると考えている。というのは、紀州釣りではこのごろ魚がスレてきたので、なるたけポイントを遠くに作り、ハリスは底を這わせるべし、という記述がこれらの雑誌によく掲載されているからだ。

 このような情報が多すぎるのは困ったものである。すくなくとも私の渡り歩いた場所では、そのような釣り場はどこにも存在しなかった。伊勢志摩ではこの情報が有効であるほど、魚はまだスレていない。かの情報を鵜呑みにすることは、逆に魚を遠くに追いやり拡散させ、しかもスレさせることになる。

 結論を言う。遠投や底這わせは魚を釣れなくするだけである。百害あって一理なし、すみやかに中止し、紀州釣りの基本に立ち帰るべきだ。

 また釣師は雑誌や技術書の内容は参考程度にとどめ、自らの実践や経験から得たことを糧とすべきだ。情報に振り回されるのは日本人の悪い癖だし、もっと何に対しても固有の考えで行動してもいいのではないか。
 

 誘いの効果
 

 シラの食いが悪いときは、積極的に誘いを掛けてみるのが有効なことがある。例えば前アタリの後、ウキを引き込んでいかないときなどである。このようなときは竿先を僅かに上下左右に動かして、サシ餌をずらすつもりで魚の反応を確かめるのである。

 もし魚がエサをくわえておれば、エサが逃げると思い、一気に食い込むことがよく見受けられる。ウキは水没し、めでたく釣り上がってくるのである。

 決して大きく竿先をあおってはいけない。あくまでそっと静かに魚に聞いてみるつもりで、ゆっくりと竿先をひねったり、引いたりして、食い気を促進させるのだ。

 誘いをかけてもなかなか魚が乗ってこないときがある。そんなときでも根気よく繰り返すのである。じんわりとやんわりとウキを動かしていると、やがてトップの目盛りが一節入り、二節入り、ようやくしまいには水没するのだ。

 シラは潜水観察の結果では、いったんエサを口にくわえ、吐き出し、様子を見てまたくわえ、さらに吐き出し、異常がないと思った後、やっと飲み込んで走り出すらしい。

 このくわえたり吐き出したりするのは、目にも止まらぬ早業であるということだ。前アタリの時でも丸飲みしているということだから、その時合わせればハリ掛りすることになる。この二度目の前アタリで合わせていたのが、エビの早がけである。しかしこの技術は視神経がとても疲れるので、最近はほとんど用いていない。

 前アタリの間隔が長かったり、回数が多かったりするのは、シラが警戒心を解いていないときである。こんなときは早がけより誘いのほうが効果を発揮する。早がけだと空振りのことが多い。積極的に誘って飲み込ませ、走り出すように仕向けることは根気がいるが、成功したときは嬉しい。

 誘いは波が穏やかで、潮の流れも緩やかなときのほうが効果的である。波の高いときは誘いは必要ない。波が勝手に誘いをかけてくれるからだ。潮の流れが速いときは誘いは無意味である。サシ餌が魚の口元から離れてしまい、いくら誘っても魚はそこにいないからだ。

 遠投や底這わせでは誘いがかけにくい。遠投ではスピリングリールを使用するため、道糸の出ている量が多いし、ウキが遠くにあるので非常に困難だ。底這わせではハリスが海底を這っているので、誘ってもサシ餌が動くかどうか怪しいものである。遠投と底這わせを同時に行っている場合は、誘いはかけてもほとんど効を成さないであろう。ウキが引き込まれるのを待っているしかない。

 そういう意味でもポイントは近くがよく、リールは糸ふけのあまりでない両軸受けか木ゴマ、あるいは鳴門型がベストである。

 誘いに適した竿は、軽くて穂先の柔らかいものがいい。重いと動かすのが億劫だし、穂先が堅いと微妙な誘いができない。

 以上、誘いについて主な考えを述べてみた。
 
 

 Sセンター訪問
 

 安乗も十月の下旬には釣れなくなった。当歳魚はまるで釣れず、釣れたのは全て二歳魚だった。しかも食いのいい日と悪い日の差がはっきりしており、釣れる数も昨年に比べて少なかった。

 ボウズが続くようになっても根気よく釣行したが、さすがに何日も一枚も釣れない日があると、シーズンの終りを認識せざるを得なくなる。

 本年度の釣果は二百八十枚と新記録を達成した。三百枚を目標としていたが、後半の尻すぼみで結局達成できなかった。
 

 釣り納めを終えた十一月後半、Sセンターを訪問する機会があった。同じ職場のA氏が所長のKT氏と親交が厚く、A氏の紹介でセンター内部を見学させてもらうことになったのである。

 同行したのは前述のTT氏とこれまた専門家のB氏である。A氏も水産増殖に関しての知識は深く、私だけがまったくの素人であった。

 センター内部ではアコヤ貝の親貝を飼育していた。この貝は水温23度で排卵するため、常に海水の温度を22度に保っていなければならない。2dの水槽の内側を汚濁を防ぐためにゲルコートし、その中に50〜60個のアコヤ貝を園芸用の棒に吊していた。

 別の部屋では飼料の培養もしており、そこにはフラスコやパンライト水槽がいくつも並び、室温を20度に保つためにエアコンが常に作動していた。道理で夜も室外機が回っており、職員が交替で休日でも出勤していたはずである。

 私には内部を見学しても専門的なことは何も分からず、見学後もさまざまなことを他の人達は話していたが、内容がチンプンカンプンであった。

 TT氏とB氏は施設内部にやたら感銘を受け、水産業の未来を熱心に語っていたが、私にとっては豚に真珠の話内容であった。

 帰りがけにKT氏に来年ツエの姿を見かけたら、A氏を通じて伝えて欲しいと言い残し、私はSセンターを後にした。結局私はそれだけを言うために、その日は訪問したような気がする。どうも他の人達と目的が違っていたようである。

 Sセンターには何をしに行ったか分からなかったが、その日は潮の色がとても綺麗であった。B氏がここの潮は和具の二十年前に匹敵する、と言っていたのを記憶している。地蠣が護岸についていて、それがとても大きく、蠣好きのTT氏などはよだれを垂らしそうであった。焼いて食べたらさぞ美味だろう。生でもきっといけるに違いない。

 英虞湾にもまだこんな海水の美しいところが残っているのである。来年のツエに期待を残し、私は帰路についた。他の三人は何を思っていたかは知らない。

釣行記 25に続く

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