爆釣中北氏

 真夏が過ぎ、秋を迎えると、中北氏は休日のたびに釣行していた。その戦果は目をみはるべきもので、信じられないほどであった。彼は御座の堤防で54pから36pのチヌを連続してあげ、それらを全て写真や魚拓におさめていた。八月中彼は持病の腰痛が悪化して入院生活を余儀なくされていたが、九月に入ると堰を切ったように釣り狂い、その勢いはとどまることを知らなかった。

 その話を聞くたびに、私は釣りに行けない自分を恨めしく思うのであった。彼は一日で54pから39pを6枚もあげた日もあるのである。大型ばかり数釣り上げるなど、そんなことが可能なのだろうか。私など二十年以上もチヌ釣りをしているが、いまだ50pを越えるものに出会ったこともないし、大型ばかりの数釣りなど夢のまた夢なのに。

 彼はそれらの釣果を職場で得意になって話し、今度是非一緒に行こうと私を誘うのであった。

 しかし私はなかなか腰を上げなかった。一体私にとって釣りというものは、行くときにはそれこそ何をも忘れてのめり込むが、行かないとなるとそれですんでしまうものらしい。このころは私にしか出来ないよんどころない仕事を抱え込んで、休みもあまり取れなかったせいもあるが、秋の絶好のシーズンに行かないということは異常であったろう。
 

  飯浜のスズキ
 

 職場の近くに飯浜という所があった。そこはスペイン村の対岸にあり、伊雅の浦の入り口である。阿児町に住んでいたときに、ここで夜釣りでチヌが食うという噂を耳にしたことがあるが、夜釣りは好まないので訪れたことはなかった。

 その飯浜で、佐渡氏と三沖君がスズキを狙ってルアーを引いているというので、少し覗きに行ってみた。

 勤務が終わってから行ったので短い秋の日は暮れかけていた。両君は既に着いていて、熱心にルアーを投げては引き、引いては投げている。水深はひどく浅く、こんな所に魚がいるのかしらんという感じである。

 ルアーフイッシングという釣りを、私はしたことはないが、着いたらすぐ始められるという点と、エサを買いに行かなくていいという点で、他のどんな釣り方も追随出来ないだろう。

 ルアーフイッシングというと、一番の対象魚種というとやはりブラックバスだろう。この魚はもとはアメリカ産だが、物好きな釣り人が芦の湖に放したのが今は日本全国に増えてしまっている。とにかく繁殖力が非常に強いので、もとからいるモロコや小ブナなどを食い尽くしてしまい、生態系に悪影響を与えるといつぞや水産生物専門家のTT氏が言っていた。

 この魚は食べても全然美味くないらしい。大体魚は釣って面白く、食べて美味くなければ釣るに値しないとかねがね私は思っている。

 三沖君も以前はこの魚を追いかけていたが、中勢地域に住んでいたので、ルアーで釣れる対象魚種が限られていたせいだろう。今はスズキを懸命になって追いかけている。

 スズキは所謂フイッシュ・イーターだから、ルアーで狙うのはもってこいだろう。ただ私はルアーでスズキを釣ったのは見たことがないし、雑誌等で話に聞いていただけなので半信半疑だった。

 そういえば今年になってO氏は神明堤防で94pの大物を仕留めていた。夜釣りで青ゴカイを底すれすれに流しての釣果らしい。彼の家で写真と魚拓を見せてもらったが、何とまあ巨大な魚だとあきれてしまった。あんなのが果たして釣り上がるのだろうか。

 佐渡氏がもう一セット仕掛けを持っていたので、借りて私も少しルアーを引いてみたが、まるで手応えがない。 やはり釣れるまでは相当の根気がいるのだろう。とにかく紀州釣りとは何もかも方法が違いすぎるので、私はこの釣りには近づきがたかった。

 日が暮れそうなので、私は飯浜を後にした。二人はまだ釣っていた。 あんな釣り方でスズキが釣れるとは思えなかった。いることは間違いないとは感じられたが。

 だが、二人はその後も暇を見つけては飯浜へ通いつめ、九月の終わり頃に佐渡氏は74pものスズキを釣ってしまった。三沖君もそれほどのサイズではないが、そこそこの型を上げたようだ。これに気をよくして佐渡氏は十月に入ってからもさらに飯浜へ通い、50p級を仕留めていた。


 紀州釣りもダンゴの煙幕で魚をだまして釣るには違いないが、エサは正真正銘の本物である。ところがルアー・フイッシングは、エサまで疑似餌でだましの骨頂ではないか。だましの極地で魚を釣るなんてまるで詐欺師のようなものだが、そのルアーでスズキが釣れるのだ。しかも大型ばかりが狙えるとなれば、この釣り方を見直さざるを得ない。

 私は紀州釣りしかしないし、対象魚もチヌと限られているので、今まではそれで満足していたが、この時ばかりは他の釣り方もしてみたいし、別の魚も狙ってみたいと思った。


釣行記 30に続く

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