釣行記         ー伊勢志摩紀東の釣 り紀行ー    影絵山人著    

少年時代    

家の近くの川で、大水が出ると
決まって釣りをした。

獲物はシラハエとカワムツであった。もっとも私たちはそれぞれをハイヨとヤマブトと呼んでいた。

餌はご飯粒である。竹を切ってきた竿に、セットで売っている釣り道具をくくり付けてわいわい言いながら釣った記憶がある。けれども釣れたところで、食用にはならず、当時家で飼っていた鶏の餌になった。鶏は喜んでガツガツと貪り食っていた。

彼らの住んでいる小屋の下にはミミズがたくさんいて、これも釣り餌になった。ご飯粒よりは食いがよかったような気がする。でもミミズを触った後は手が臭くなるので嫌だった。

当時の地図



自転車に乗れるようになると、五十鈴川の河口近くに鰻やセイゴを釣りにいった。鰻の餌はアメリカザリガニの尻尾の所の身、セイゴは小ブナである。

鰻の釣り方は、のべ竿を橋下駄に竿袋でくくり付けてのブッコミ釣りである。鰻がかかると、道糸がパンパンに張ってくるので、それとわかるのだ。河口だったので潮の干満があった。満ち潮の時に釣れるものを「上り鰻」。引き潮のときにかかるものを「下り鰻」と言っていた。前者は色が緑色っぽく、後者は黒っぽかった。

味はどちらがいいとも言えなかった。ただ、現在の養殖のものに比べると、両方とも皮が堅かったような気がする。
婆さんは上手に料理したが、親父は私の釣ってきた鰻を、何とブツ切りにして煮付けた。

大変気味の悪いもので、だれも食べようとせず、結局これも鶏の餌になった。やはり鰻は開いてカバ焼きにすべきである。  

セイゴの釣り方は、小ブナを泳がせながらのウキ釣りである。ウキ下を一ヒロぐらいにして流していると、群れにあたったときは、一気に引き込んで気分がいい。しかし群れがこないとさっぱりで、退屈極まりなかった。

この魚はあまり旨いものではない。塩焼きにしたが、少し臭みがあり淡白すぎる。

調子に乗って釣っていたら日が暮れてしまい、帰り道に自転車がパンクして、月夜の晩に歩いて帰ったことがある。家に帰ったらこっぴどく叱られたが、その日はよく釣れた。

しかし、その釣り場も今は見る影もなく、私の少年の日の思い出も消えようとしている。釣り餌にしたザリガニもめっきりと数が減り、小ブナはもういない。さびしい限りである。    

佐田浜のカイヅ  
自動車を運転するようになると、鳥羽までカイヅ釣りにでかけるようになった。  

夏の佐田浜堤防2000年
当時の佐田浜の図



釣り方は、赤土に荒引きサナギ粉を混ぜ、海水を練ってダンゴを作り、ダンゴと共に餌を海中に投じるウキ釣りである。

カイヅは目は良いが貪欲な魚なので、赤土の濁りでその視力を煙に巻き、サナギの匂いでその鋭敏な嗅覚を刺激する。赤土ダンゴは海底もしくはスレスレで割れ、それと同時に餌のエビが飛び出す。濁りと匂いにたまらなくなったカイヅは思わず餌に飛びついてしまう。  

いわゆる「紀州釣り」であるが、クロダイの性質を上手く利用した釣り方であると言えるだろう。  

佐田浜の堤防によくでかけたが、他の人の釣果を尻目に、私にはさっぱり釣れなかった。それにこの堤防は釣り人がやたら多く、おまけに潮の流れが速いので、よく「お祭り」した。シーズンになると、50p間隔で人が並び、魚の数より人の数のほうが多い感さえある。未明に来て、クーラーを置いて場所取りをする人もあり、とにかく競争が激しかった。  

伊勢志摩では、クロダイの当歳魚をカイヅ、二歳魚をシラ、成魚をツエと呼んでいる。もっとも最近は関西の呼び名でチヌと呼ぶ人も多いが。  
私のとなりに釣っていた人がシラを掛けた。カイヅを狙ってのシラだから上物である。しかし釣座の間隔が狭いため、シラの引きで彼の道糸と私のがお祭りしてしまった。そのせいで魚は「バレ」た。  

彼は私のほうを恨めしそうに見た。相変わらず「ボウズ(魚が何も釣れないこと。)」の私は心中ざまあみろと思った。
 
釣りに行って他人が釣るのに、自分が釣れないほど面白くないことはない。    

昼間は諦めて夜釣りに出かけた。しかし、そこでも他の人は大物を次々と上げているのに、私に釣れるのはゴンズイばかりで、意気消沈するだけだった。  

私は佐田浜へは行かなくなった。人が多すぎることと、釣れなかったことが原因だと思うが、もっと大きいのは、自尊心を傷つけられたためだろう。  

それでも私はクロダイ釣りを諦めなかった。初めて釣ったのは、初めて両軸受けリールとガイド付き竿を買った日だった。両軸受けリールは決してスピニングリールのように、仕掛けを遠くに飛ばせなかった。

その事も知らずに、単独で釣行した私は、むやみに仕掛けを遠くに飛ばそうとしていた。それを見ていた隣の人が両軸受けリールの使い方を教えてくれた。  

だが、彼はよく一人で来たねと言うような意味のことを嘲笑を込めて言い放った。道具の使い方も知らないくせに。…と言う意味だったにちがいない。

場所は「ぶらじる丸」が前に停泊しているテトラの所である。

いつのまにか電気ウキは勢いよく引き込まれていた。今までに経験したことのない鋭い小気味よい感触と共に、初めての獲物が釣り上がった。

てのひらぐらいのシラだった。惚然としてそれを眺めていると、先程リールの使い方を教えてくれた人は、私のより大きい黒光りする奴をすぐ釣り上げた。彼は誇らしげに獲物を私に見せた。またしても敗北感が胸をよぎったが、初物を手にしただけに、悔しさは強いものではなかった。  

釣りに行って、他人が自分より大きい獲物を手にするのは気分の良いものではない。    

就職してからは学生の時のようには釣りに行けなくなった。たまの休日の前夜にアジ釣りに出掛けるくらいだった。アジという魚は食味こそすぐれてはいるが、魚を掛けてからの引き味は強いものではなく、唇が弱くてよくバラしたりした。それに夜釣りが主となるので仕掛けが絡みやすく、周囲もよく見えなかった。獲物も小さい(当歳魚)し、満足できなかった。  

真昼にシラを掛けていた鳥羽の釣人のことが頭に浮かんだ。ピンと張ったヒレ。勇壮な面構え。鯛族特有の上品な引き。どれをとってみても、魅力的な魚であった。いつかシラを真昼に釣りたいと思った。  

昼は魚もよく見えるし、回りの景色も楽しめる。毒魚であるゴンズイもほとんど釣れてこない。何よりも釣り上げた獲物がはっきりと確認できるのがいい。それほどシラは美しいのだ。

だが、警戒心の強いシラは主に夜の釣りとされ、当歳魚のカイヅのみが昼釣り可能といわれていた。あの鳥羽の釣人はカイヅねらいにたまたまシラが掛かったのだ。シラのみを白昼に、しかも数多く釣るということが可能だろうか。

釣行記 2に続く                                              

BACK