飼いつけとクチジロ
 
南島での最初の年はこのように暮れ、新しい年を迎えた。春になり、「飼いつけ」をしようと、大江浜からボートで真珠小屋跡に渡った。乗っこみの産卵が終わる五月末ごろのことである。
 
この湾内には無数の真珠小屋があるが、現在は荒れ果てて作業していないものがほとんどである。しかし釣座は安定しているし、釣りやすいところが多いので、その一か所に目をつけ、飼いつけ餌を廃屋の前に沈めた。

 飼いつけ餌は、米袋に無数の穴をあけ、中に赤土と乾燥丸サナギを入れたものである。こうしておくと徐々に赤土とサナギが溶け出し、二か月くらい効果があるとイカダ釣りに行ったとき業者から聞いたのだ。乾燥丸サナギは10`を製糸工場でわけてもらってきたものである。

 四、五日経ってから試し釣りをした。マダイの子が入れ食いになったのみで、シラはたった1枚釣れただけであった。丸一日やってこんな結果だったので大変気落ちしたが、気を取り直して一週間後再び同じ場所で試みたが、さんざん粘って釣れたのはやはり1枚であった。
 
終日二度の試し釣りのこの結果は、この場所は魚道ではあるが留まって餌をあさる寄り場ではないと判断し、少し離れたところにある別の真珠小屋跡に場所を移すことにした。
 
その場所はすぐ側にかなりの深場があり、大型の実績もあってメバルなど他魚の魚影も濃いところである。94と護岸にペンキで記してあったので、以後ここを94号と呼ぶことになった。
 
94号は岬のように湾中央にせりだしていて、湾口からの潮がポイントとなるべき場所に回り込んで流れるようになっていた。

 例によってまた飼いつけ餌を入れ、数日経ってから試し釣りをした。
 
時期はすでに七月半ば、梅雨明け前のむしむしした薄曇りの日であった。

 釣り始めて15分でフグが寄り、ベラなどのエサトリが集まった。幸先がいい。竿は4m50のハエ改造竿である。ハリスは1号半、エサはミノムシを使った。

 40分後、ダンゴが底で割れ、ウキがトップを見せたかと思うと、またすぐに沈んでいった。底は10pほど切っていた。すかさず合わせるとハリ掛りしない。だが、ミノムシはハリから垂らしていた部分が1pほど噛み切られている。
 
そこでもう一度エサを新しくつけ直し、同じ場所へ投入した。ウキが沈む。ダンゴが割れる。ウキが浮き上がる。またすぐ沈んだ。

 ゆっくりと沈んでいく。今度はウキトップが完全に視界から消えるまで待ち、ひと呼吸おいてから合わせた。

 ズシンという手応え。根がかりかと一瞬思う。しかし動く。海底を重いものが這って
いるようだ。
 
突然竿が満月のようになり、獲物は深みへと逸走し始めた。ウキ下は僅か1ヒロ半。重量感溢れる強い締め込みを三度繰り返した。その度に竿は満月に絞りこまれ、リールシートのところから胴に乗って曲り、重々しい引きに耐えた。
 
竿は軟らかい。ハリスは1号半だ。切れるはずがない。前方にイカダがある。ロープに巻き込んでしまうと危険だ。決して糸は出すまい。


 やがて魚は弱り、水面に浮いた。ガバッという音と共に、大口を開け、平たく寝そべった。

 大きい。玉網を差し出す手が震えた。足元もおぼつかない。頭から、頭から、念じつつ慎重にタモ入れ。重い。

 はじめての大物。ツエだ。48p2s。色は黒く、居着きのクチジロである。口吻は石灰質で恐ろしく堅固であり、完全にハリをのみこんでいた。

 あまりに口が堅そうなので、ハリを外すことなど諦め、ハサミでハリスを切り、スカリに入れたものの、中が気になってその後釣りに集中できなかった。

 結局はその日は呆然と納竿した。獲物はハリが喉の奥に深く刺さっていてもなお生きており、浜に到着して「シメる(魚の息の根を一瞬にして止め、鮮度を保つこと)」寸前まで元気だった。また94号から浜までのボートの中で、彼は「コフッ、コフッ」という咳払いのような音を絶えず発していた。ハリを外そうとでもしていたのであろうか。初めてツエを釣った記念すべき日のことである。

 94号では秋にも大物を仕留めた。この時はエビの早がけで1pのアタリを掛け合わせたものである。サイズは前述のツエよりも1p上回り、最初の魚拓を残した。

縞模様のはっきりと浮き出た美しい魚体で、惚れ惚れするほどのものであった。ハリは飲み込んではおらず、上顎に深く刺さっていた。

チンタメバル11号を使用したが、外すときに折れてしまったので、以後この種類のハリは大物の出る場所では使用を差し控えている。

 2s前後のものになると、口吻が異常に堅いので、軸の太い丈夫なハリを使ったほうが無難である。またバラさないためにも飲み込ませるべきである。

ハリスは1号半から2号を使うようにした。竿は軟調であり、ハリスは充分な強度を備えているから飲み込ませれば切れる心配はない。本来軟調子の竿は細いハリスを使うべきなのだろうが、あえて太くした。

安心して獲物と対峙するためである。安心は落ち着きを生み、リールから余分に糸など出さなくてもいいからだ。糸などを出したりすると、トラブルのもとになるし、何よりも面倒である。

軟調竿で充分引きを楽しみ、ハリスは太くして余裕の取り込みをしたい。何にしても大物を掛けたとき、慌てるのが一番よくないのだ。
 
その日はこの大型1枚を釣った後、35pから39pまでの中型が食ってきた。

惜しむらくは食いの立っている時間帯に煙草を切らしたことである。我慢ができなくなり、わざわざボートを出して大江の集落まで煙草を買いに出かけた。

その際にアケミ貝を丸貝にして放り込み、竿尻に石でオモシをして94号を離れたら、何と竿先を海中に引き込まんとの勢いで絞り込んでいるのである。慌ててボートを戻しかけたが、やがて竿は何事もなかったように復元した。

 煙草を買いに行った際に中断した時間は約四十五分。再開後再び中型がかかり、鋭い引きを楽しませてくれた。結局、大型1枚中型5枚の合計6枚の釣果に終わったが、煙草さえ切らさなかったら恐らくもっと釣れていたことは間違いない。
 
愛煙家諸兄よ。釣りに行くときは煙草の余分を忘れずに。

 クロダイの群れの勢力範囲は大型がおればまずこれが食い、その後漸次型は小さくなっていく傾向にあるようだ。
 
 釣行記 6に続く