双眼鏡で覗いていたS氏
 

 さて、前述の七月×日には驚くべきことがあった。

 納竿し、釣座の周りを洗い流し、道具を片付けていたら、背後から一人の人影があった。


 「いやあ、よく釣れていましたなあ。」

 彼は開口一番、私にこう話しかけた。確かに今日はいい日だったが、私が釣っている間、周辺に誰も人はいなかったのである。何故釣れたことが分かるのだろう。魚はクーラーの中だし、そのような形跡は残していないのだ。私は不思議な気持ちになり、生返事をした。すると彼はなおもこう続けた。


 「竿が曲がりっ放しだったじゃないですか。」
 「はあ?」

 そして、次の言葉は私を仰天させた。
 「アケミ貝で食うのだから便利ですね。」

 いったいどういうことだろう。周りに人はいなかったはずなのに、入れ食い状態を知っていて、しかも餌がアケミ貝だったことまで分かるとは、この人はただの人ではない。


 あまりに気味が悪いので、何故わかるのだと質問してみた。すると彼は保養所の管理人で、ずっと私の釣っているのを双眼鏡で見ていたと白状した。成程振り返ると後方に新しい保養所が見える。それにしても、よくアケミ貝まで確認できましたねといったら、パールロードの展望台にあったものを譲ってもらったと答えた。


 大いに驚き呆れた。さらに彼のいうことには、ここで誰かが食わせてくれるのを待っていた。こんな近くで釣りができたら、言うことはない、わざわざ安乗まで釣りにいかなくていい、とつけ加えるのだ。彼は安乗をホームグラウンドにしていたらしい。


 折角開拓した釣り場も、たった二日で人に知られてしまった。もともと誰でも訪れやすい所だから、いつかは釣り人で一杯になるだろうが、こんな早く情報となるのは考えものである。
 私は、ここで釣れることは内緒にしましょうと彼に進言した。彼も同感であると答える。お互いに近くに住んでいるのだから、よそ者には知らせたくない心理は同じのようだ。

 彼の名前は、後から分かったことだが、S氏といった。この後もよく私の釣るのをよく双眼鏡で覗いていて、暑いだろうとジュースを差し入れてくれたりした。ただ、このS氏、季節柄仕事が忙しく、釣るのを見ているだけで、あまり釣りに来れなかったのが気の毒であった。

 しかし、覗いていたのはS氏だけではなかった。実はもう一人、はる
か東の方角から天体望遠鏡で覗いていた人がいたのである。
 


T氏のこと
 


 神明は釣れた。

 二ケタ釣りはいつものことで、全て二歳魚、サイズは23〜30pであった。まさに去年のカイヅ16〜20pが生長したものであることは疑いなかった。もっとも、去年は浅浜や安乗で釣れたのだが、英虞(アゴ)湾にも同じサイズのものが数多くいたのである。昨秋はここではサヨリをする人ばかりで、カイヅを狙う人は一人もいなかったから、群れがそのまま温存されたのであろう。


 N君も訪れ、めでたく釣果をあげた。S氏の妹婿が来たが、残念ながら釣れなかったので、私の釣ったものを全て持ち帰ってもらった。私は釣った魚の処理に困っていたのである。

 いつ来ても釣れるので、魚屋にでも卸そうと考えたが、納竿する夕方には彼らは揃って店を閉めてしまう。仕方がないので釣ったシラは、近所に住んでいる同僚にあげたり、家主に貰ってもらったりしていた。

 七月下旬頃は、夕方になるといつもウナギが竿を曲げた。そしてこの魚が釣れた後は、シラの食いが止まってしまうのが常であった。ウナギも大抵人にあげてしまったが、一度料理して食べたことがある。天然のウナギなど、少年時代に食べたきりである。婆さんや親父が料理しただけで、子供の私には出来なかった。もっとも親父は料理したとはいい難かったが。


 女房と二人がかりでヌルヌルするのを開き、なんとかカバ焼きにしたら、養殖のものよりも淡白でひどく旨かった。人にくれてやったのが、惜しくなり、後悔したくらいである。けれども、いざ釣ろうとなると、釣れなくなってしまったので、世の中はうまくいかないものである。
 


 このころ、神明堤防に高級車のシーマで釣りに来る初老の人がいた。見れば動作もぎこちないし、初心者のようである。すでに定年を迎えた後らしく、時間はあるようで、毎日のように暑い堤防にいた。しかし、彼にはまったく釣れなかった。

 ある時、釣り始めると、第一投目でいきなり食って来たことがある。大抵はマキ餌をしてから一時間以内に食うのであるが、この時はいくらなんでも早すぎるように思われた。


 不思議に思っていると、しばらくしてから彼がやってきて、先程までここで釣りをしていたのだが、1枚も釣れなかった、ただマキ餌だけはたっぷりしていたというのである。成程それで釣れたのですねと一応納得する。


 それにしても何故一度釣りをやめてから、再び彼はここに現れたのであろう。私がシラを食わせている最中である。タイミングが良すぎるように感じられた。


 話をしているうちに、彼は、

「実はあそこの家から、あなたの釣るのを望遠鏡で見ていたんですよ。」

と言う。彼の指差す方向を見ると、成程、近鉄沿線の小高い山の上に平屋が見える。かなりの距離である。少なくともS氏のいる保養所よりは相当遠い。あそこから見えるのだから、倍率の高い望遠鏡なのだろう。保養所は堤防から北側、彼の家は東側に位置していた。

 そうなると、後ろからS氏に、左側からは彼に、私は自分の釣りを見られていたことになる。いやはや、困った人達である。こんなことではいつ覗かれているか分からないから、北と東向きには小便ができない。この話を聞いてから私は、常に彼らの方角を避けて放尿するように心掛けた。

 釣りに行くとトイレなど普通は存在しないから、立ち小便するしかない。最近は女性も釣りをする人が増えてきたが、この問題をどう解決するのだろう。


 北も東も不適当だからと、南を向いたら、マリンランドと志摩観光ホテルである。志摩観を見て不安になった。…ひょっとしたら、覗いているかもしれない。二度あることは三度あると昔からいうではないか。

 結局、私は西を向き、堤防の根元にある丘に向かって放尿するしかなかったのである。

 彼の家は別荘で、本家は名古屋にあると言う。道理でシーマが名古屋ナンバーのはずである。昨年の秋に別荘を建て、今まではゴルフに興じていたが、折角海のそばに来たのだからと、つい最近釣りを始めたばかりだそうだ。

「いやあ、それでですね。望遠鏡で見ていると、あなたがあんまり釣るものだから、いったいどうしたらそんなに釣れるのかな、と思いまして、教えてもらいに参上したというわけなんですよ。」

 私が返答に困っていると、さらに彼は続けて言うには、できたら弟子にしてもらって、いろいろ教えを受けたいというのである。

 いくらなんでも、父親程も年齢の離れている人を弟子にするわけにいかない。恐縮してしまったので、

「それじゃあ、これからお会いした時は、一緒に釣ることにしましょう。」

 と、私が答えたら、彼は納得した。

 その日は、21枚釣れたので、15枚彼に貰ってもらい、4枚はそこらへんにいた小学生の坊主にくれてやり、一番大きかった29pと30pを家に持って帰った。


 彼は私の釣っている間ずっと、その様子を熱心に見ていた。帰りがけに名刺をもらってまた恐縮した。見るとT氏とあるが、職業は書いてない。たぶんどこかに勤めてはいたが、すでに退職しているのだろう。今だにT氏の以前の職業は教えてもらっていないが、それにしても別荘での悠々自適の生活は羨ましい限りである。自分も老後はかくありたいと思ったりした。

 次の日からT氏は堤防に私の姿を見つけると、望遠鏡で釣れ具合を確認した後、一目散に飛んできて、私の隣に座り、一緒に釣ることを常とした。年寄りの割りにはひどく素直な人で、私が偉そうに講釈をたれても、熱心に聞き入り、しかもすぐにそれを実践した。いやはやものすごい向上心である。この人は上達すると直感した。

 T氏は初心者の割に、道具はしっかりしたものを選んでいた。S氏に教えてもらったのだと言う。彼らはすでに知り合いだったわけである。
 
 S氏とT氏
 

 一体、釣り場が自分の住んでいるところから見えていて、どの様な人間が釣りをしていて、しかも釣れているか否かを視認できる人が何人いるだろうか。

 大抵の人は雑誌や新聞を読んで、あるいは釣友の情報を聞いたりして釣行し、大釣りしたり、ボウズに終わったりして一喜一憂するのである。しかし、S氏とT氏は違っていた。 彼らは誰よりも早く、現状を確認、把握でき、しかもいち速く現場に到着できた。
 

 S氏はこのことが実行できる状態にあっても、実際に釣りに結びつくことは少なかった。夏場の保養所は客が多く、いくら目の前で釣れ盛っていても、それを眺めているだけで、釣りができないのである。

 双眼鏡で私を見ていて、彼はしびれを切らしたのか、よく仕事の合間に堤防にやってきて、そのイライラし、地団太を踏んだ思いを語るのであった。むしろ彼には、双眼鏡は必要なかったのかもしれない。


 たまの休日には、彼はことさら釣りに熱中した。彼は納得のいく釣りをしたいとよく言っていた。というのは、さんざん食わせたら、深追いはせず、ある程度の釣果をあげた後、さっさと納竿してしまうのである。後の釣行への意欲を残しておくため、気分よく納竿したいというのが彼の信条であった。


 この彼の考え方は、資源の保全のためにも有益であるだろう。彼はいたづらに釣り過ぎることはしなかった。欲の皮の突っ張った私などには、とうてい彼の真似はできない。彼の釣りに対する姿勢は見習わねばなるまい。
 


 T氏は釣りに関するあらゆる意味で、極めて理想的な境遇にいた。
 いつでも、好きな時に釣りができ、しかも効率よく釣行できるのである。こんなに恵まれた釣り人はあまりいないであろう。
 彼は常に望遠鏡を活用していた。魚の活性の高いこの時期に、数多く獲物のいる場所近くに住んでいて、しかもそれらが最も活発に就餌する時間帯まで、視認できるのである。入門者として理想的な境遇にいたといえるだろう。彼はよく竿を持ちながら、

 「楽しいなあ。」

 と、自らの心情を吐露した。

 実際にT氏の顔には微笑があふれ、まさに至福の時であったのだろう。そして、私の脳裏にも、今だ彼のこの言葉が、楽しい思い出となってよみがえってくるのである。

 親子ほども年の離れた、二人のいい大人が、まるで少年のように釣りに興じている。そこへ、S氏が仕事の合間を縫ってやってきて、釣り談義に花を咲かせる。T氏と私はひどく日焼けしてしまった。

 暑い夏の日の昼下がりのことである。


釣行記 19に続く