夜釣りとは


7月。大湊「西の川」は何にしてもよく食う。伊勢市大湊町は三角州の上にあり、宮川は伊勢湾に注ぐ最終工程でこの大湊町を形成し、左に「西の川」右に「東の川」と分かれて流れを放出している。(左の川を「東の川」と呼んでいるかどうかは怪しい。)

大体において紀州釣りをしていた私がダンゴを投げないなんて、変に違和感がある。そうはいうものの夜釣りでダンゴなど意味がない。

こういう手のひらクラスのチヌを釣るために、今までわざわざダンゴを用意して、手を汚し、果ては衣服までヌカだらけにしていたのだ。わざわざそんな面倒なことをしなくても、撒き餌なしで、チヌが小さいながらも釣れるなんて実に愉快なことではないか。

さて、この「西の川」で昨秋釣りを共にした老人と再び遭遇した。
彼は退職後の仕事を土、日だけにし、後の日は毎日のように釣りに興じていた。釣りエサも自ら採取し、今一色海岸へミノムシを堀りに行っていた。

彼の名は中里氏といった。といっても直接本人に聞いたわけではなく、彼の連れてくる人たちが、彼をそう呼んでいたのである。

中里氏の釣りは誘いが非常に上手かった。流れる電気ウキを引いたり、止めたりして食いを誘発するのである。
彼はその釣り方を自分の連れてきた友人に伝授しようとするのであるが、その人は素直に聞けない性質らしく、誘いの方法は伝わらなかったようである。
私は中里氏の指導を横で聞いていて、友人の代わりにその通り実践してみた。すると、魚は誘いにすぐ゜乗ってくるのである。

そんなわけだから、中里氏の技は私に伝わってしまい、彼の友人はあまり釣れなかった。

その人はよくセイゴも釣っていた。名前は知らないのだが、単独でもよく現れ、中里氏の噂などしながら一緒に釣った。

7月も中旬以降になると、どこで情報を聞いてくるのか、西の川にも釣り人が増えてきた。流れに漂う電気ウキの数が10を超えてきたのである。日が暮れてしまってから、釣り場に着くと場所がないので、明るいうちに出かけなければならなくなった。

特にどの場所がいいということはないのだが、電気ウキを流す都合上、釣り人同士の間隔を10メートル以上とらないとトラブルのもとになるので、人数は限られていた。


下旬になると少し食いが落ち、二桁に届かない日が多くなった。10人以上の釣り人がいるのだから、さすがに数が減ったのだろう。


私はこの頃既にトータルで200枚を釣っていた。中里氏などは毎日来るから、300枚を超えているだろう。みんなが私と同じぐらい釣っていたら、釣り人が10人として、合計2万枚のシラが釣られてしまったことになる。


ところがである。…

ある日日暮れ時に行ったら、既に多くの人が車を堤防に駐車して日没を待っており、雨も降り始めたので、あきらめて帰ったことがある。


9時になってから、窓を開けて外を見ると雨は止んでいて空には星が見えている。これ幸いと再度釣行すると、上手い具合に雨でみんな帰ったのか、堤防に車がない。


一投目から、24センチが釣りあがり、ほとんど入れ食い状態である。入れ食い最中に止んだと思っていた雨がまた降り始め、降ったり止んだりの繰り返しである。帰ろうかとも思ったが、雨の降っているときに特に食いが立つので、帰るに帰れず、濡れねずみになりながらも釣り続けた。


夏のことで濡れても寒さも覚えず、夜半になったら、雨も止んでしまった。同時に、食いも止まってしまい、11時半に納竿した。この雨は短時間で20枚近くの釣果をもたらしたのである。

中里氏は日没になって雨で皆が帰っても、一人雨具を着用して釣り続け、結局30枚以上釣ったという。


新釣行記 5に続く

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