その後もあらら浜のブイには出かけた。やはり、57cmは大きかった。夢よもう一度とボートを出したが、2度目は小型2枚に終わり、その後はエサ取りばかりで、なんらめぼしい釣果は得られなかった。

ボートを出す場所は中の浜であったとは既に述べた。
その近くの護岸には台船が浮かび、その下にはチヌの気配があった。
すぐ近くの堤防には多くの釣り人が並び、紀州釣りをしていた。

堤防では釣れているような気配は感じられなかった。人が集まる堤防よりも、何でもないような護岸に意外とチヌは潜んでいるものである

佐渡氏が悩んでいた。
いつ行っても釣れない釣れないと落ち込んでいた。おまけにボラばかり彼には釣れるのでついに、「ボラキング」を名乗っていた。
何でそんなモノを名乗るのか、私には理解できなかったが、とにかくチヌをものすごく釣りたかったに相違ない。

中の浜の台船を狙ったらどうかと彼にアドバイスした。
実にいい加減な気持ちである。何となく、気配は感じたが、釣ってみなければわからない。
ボートが無かったら、私はそこで試してみていただろう。
しかし、その時私はまだ、57cmポイントのあらら浜に恋していた。

10月の中旬の9時ごろ、私は例によってあらら浜へボートで出かけた。
10時頃になると、佐渡氏が台船前に現れた。何と湯川氏の姿も見える。
彼らは最初うろうろしていたが、やがて佐渡氏は私の示した台船前に釣座を構えた。
湯川氏はまるで見当違いの所で釣り糸を垂れている。
湯川氏には佐渡氏の隣で釣るようにとアドバイスしたいのだが、何せ直線距離で1Kmは離れているから、叫んでも届く距離ではない。

あきらめて、私は自分の釣りに集中した。しかし、まるで釣れない。もう、大チヌも小チヌも食ってこなかった。
午後4時に納竿し、ボートを中の浜に向かって漕ぎ出すと、湯川氏の釣座が変わっているのに気がついた。
何と、私が伝えようとした佐渡氏の隣で釣っているのである。
しかし、釣れているような様子はなかったので、私は深く考えることなく、中の浜に到着した。

ボートを降ろしていると佐渡氏が、
「どうでしたあ?」
と大声で尋ねてくる。駄目だったと答えると彼は、
「イッヒッヒッヒッ!」
と勝ち誇ったように笑う。
どうも釣ったようである。ボートを放り出して、彼の所へ行くと、スカリの中には見事な奴が所狭しと泳いでいた。
「スケールで測ったら47cmでした。」と得意満面である。
湯川氏も真剣にウキを見つめている。今まで、宮川でカイヅを釣っていた頃の彼とは様子が変わっている。
このとき私はやっと彼の場所代わりした理由を理解した。

何と彼も28cmを釣っていた。紀州釣り開眼の貴重な1枚である。宮川の新子はもう卒業だ。

短い秋の陽も暮れかけているが、2人とも真剣に打ち返し、止める気配はない。
やがて、湯川氏の竿が曲がった。

今度は良型のようである。
果たして湯川氏も佐渡氏に続いて40cm級を仕留めるかと思われたが、ハリ掛かりが浅くバラしてしまった。

佐渡氏も、湯川氏も満足の一日だったに違いない。
なお、この件に関しては佐渡氏のHPの釣行記の方が詳しいので、参照されたい。

私は次回ここに来ようと思った。何もボートを出さなくても、
こんな何でもない所で釣れるのなら、それに越したことはない。

新釣行記 14に続く
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